2020/04/14

誰もがそうであるように、このコロナウィルスの影響で、あらかたの行事が飛んでしまったため、この機会に読書をすることに決め、いつにないペースでたまっている本を読み進めている。どの本も、読めば新しい発見があり、得ることがある。読書とはすばらしい経験だ。

ニュースはYouTubeの海外の報道もチェックしている。(先日の日記にも書いている。) 国によって、比較的うまくいっているところもあれば、カオスというところもあり、また悲壮なところもある。前例のないパンデミック、そして、社会資本も政治体制もそれぞれ大きく違うなかで、同一の対応をとれるはずもない。Twitterを見ていていやになるのは、他国の対応を「バカ」であるとか「おろか」であるとか論評するインテリ日本人が多くいるところだ。悲壮な犠牲に耐えながら、起きてしまったことに対して、限られた時間と資本で必死に対策している人たちに対して、よくもそんな言葉が吐けるものだ、と震災以後のTwitter罵声には慣れている私でも、不快なこころもちで眺めている。こうした態度は日本人に特徴的なのかどうかわからないが、ときおり、日本人の酷薄さにぞっとすることもある。少なくとも、公で言ってよい言葉であるとは思えない。(柴五郎の「うぬぼれ屋でお調子者の日本人」という評価を思い出す。私なら、情け知らずの、と付け加えるところだ。) 他国とはいえ、命をかけた必死の対応にそうした冷笑的な評価をする人間を、私は忘れないでおこうと思う。そうした他人の窮地をあざ笑う人間は、私が同じように窮地に陥った時も平気であざ笑うだろうから、そうした人たちとは決して命運を共にするような愚かな真似を自分がしないように用心するために。

震災直後もそうであったが、いかに事前の備えがまずく、当局の判断が稚拙であったとしても、現場対応にあたる人間は必死だ。命がけといってもいい量の仕事を連日こなしていく。そして、そこには多くの人の命がかかっている。その修羅場がわずかであっても想像ができるから、どの国であったとしても、その努力が報われるようにと祈るばかりだ。