リスク学と111勧告

 わが友ジャック・ロシャールが、友人がおもしろい論文を出したから送るよ、と添付したメールを送ってきた。福島の原発事故が、欧州でどのように公衆の信頼に影響を与えたかということがSocial Amplification of Risk Framework を用いて考察されている、という内容だ。

https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/risa.13757

 興味深い内容であったのだけれど、Social Amplification of Risk Framework がなんなのかがわからないので、元ネタとなっている論文を読んでみたら、これがすばらしくおもしろかった。1988年の論文だが、引用数が数千あるところを見ると、とても有名な論文のようだ。(Google検索だと3,989)

https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/j.1539-6924.1988.tb01168.x

 これは、リスク分析において、些少とも思えるリスクが、過大に評価され、社会的経済的に巨大な影響を与えてしまう現象を電機アンプ(増幅器)になぞらえて記述したものだ。この現象は、原発事故の放射能リスクについては体感的に多くの人が承知しているだろうが、こういう概念整理が既になされていたのかと目からうろこが落ちた。

 ついで、上記の論文の共著者であるO.Renn が、リスク・コミュニケーションの情報伝播をSARFで分析したもの。リスク情報の伝播を機能分析した内容といえばいいのだろうか。そのままリスクを巡るメディア論にもなっていて、こちらもすばらしく面白い。1991年の内容であるから、SNS時代に突入して大幅に変化する箇所もあるけれど、それを除けば、メディアと情報の伝播についての主要なポイントはほぼ網羅できているのではないだろうか。

https://link.springer.com/chapter/10.1007%2F978-94-009-1952-5_14

  この論文は、冒頭に社会学者のルーマンの文章が引用されている。リスク学においては、「信頼」が大きなトピックなのだけれど、そこには、ルーマンの影響が大きいようだ。(こちらはこれから読む。)

 SARFは、事故後の状況のダイナミズムを見事に概念化に成功していて、感心すると同時に、日本はこれを使い損なったことは、まったく残念だ。こうした理論的基盤を前提として知っておけば、対策に使えたかどうかは別として、心構えとしてもう少し落ち着いて状況を見ていられたのに、と思うと同時に、このダイナミズムとは対極にある政府の各委員会の硬直化しきった議論の様子を思い起こし、この先のことを考えると頭が痛い。どう考えても、これから起きるだろう現実の状況に対応できるだけの態勢も知見もあるとは思えない。

 リスク学が、日本ではあまり受容されていないのは、その日本語文献の少なさからもわかる。英語が読めなければ、どういう分野なのか、その全体像をつかむことがまず難しいのではないだろうか。私も、ようやく英語で文献を読むくらいの英語力がついてきたので、拾い読みしているが、目を開かされることが大きい。

 このおかげで、自分が原発事故のあと参照してきたベラルーシエートス・プロジェクトの思想的背景が見えてきたのは、大きな収穫だ。2011年の秋頃に、ベラルーシエートス・プロジェクトを知り、その後、プロジェクトの中心であったジャック・ロシャール氏と知り合い、参考資料は豊富にもらっていたが、その資料を見たり、あるいは彼と個人的に話していても、ずっと気になっていたのは、エートス・プロジェクトの背景にある思想的基盤だった。たんに放射線のことを知っている専門家が被災地支援をしました、というだけでは、ああした人間洞察のある活動にはならないはずで、どうすればああいう流れになるのかをずっと知りたかった。

 ずいぶん前に、ロシャール氏が紹介してくれた、エートスプロジェクトの前のパイロット調査の論文を読んで、しっかりした思想的基盤があるだろうことは確信していた。著者は、心理学者でもあり、社会学者でもあったそうだが、専門は社会心理学ということになるのだろうか。石造りの文化の知性はこういうものか、と感心しながら読んだ。この著者もエートス・プロジェクトの立役者のひとりだ。(ただ、当時すでに高齢であり、プロジェクト開始後数年して、持病で亡くなったとのことだ。)

 これまでは、気になりつつも他にしなければならないことが多くあったので、手をつけられないでいたのだけれど、末続での現地活動が落ち着いたこともあり、総括的な話をする時間ができてきたおかげで、だいぶ様子が見えてきた。

 リスク学は、アメリカがその発祥であるといわれている。70年代から80年代にかけて、Slovicのリスク・パーセプション研究などがあって大きく飛躍し、80年代に欧州にも大きく広がることになった。アメリカから欧州への紹介の経緯には、ロシャール氏も関与していて、Slovicと一緒に研究していた T.Earl は40年来の知人で、上述のO. Renn も古い知り合いであるとのことだった。エートス・プロジェクトでの活動でも、Earl からの助言を受けているとのことで、ここはひどく合点のいったところだ。エートス・プロジェクトからICRP111への流れは、どう考えても、放射線医学や生物学といったものとは異質だったからだ。リスク学に基盤があると説明されると、なるほど、そりゃそうだよね、と手を打つしかない。

 ここまで考えてくると、ICRP111が、当初、日本の物理や医学を中心とした専門家に受け入れられたように見えたものの、2014年頃を境に、彼らが袂をわかった理由がよくわかる。リスク学が背景の場合、リスク・コミュニケーションは、一方通行のパターナリスティックな流れではなく、ステークホルダー関与の双方向意志決定システムの構築へと向かう流れにある。だが、リスク学の流れが非常に薄く、パターナリスティック傾向がきわめて強い日本社会では、このステークホルダー関与の重要性が理解されることがなかった。政府の委員会を見ればわかるように、組織的な対応も取りうる状況ではない。(欧米から遅れることうん十年の世界だ。現代版「脱亜入欧」というところか。)

 私は、当初から、エートス・プロジェクトの、非パターナリスティックなところに関心をもっていたので、他の人たちも当然そうだと思い、なぜ途中から多くの人たちが心変わりしてしまったのか、ずっと疑問であったのだけれど、そうではなく、もともと呉越同舟で、状況が落ち着いてきて、それぞれが元の舟に帰った、と考えるのが正解なのだろう。

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