中原中也論ー卒論の思い出

卒業論文中原中也論を書いた。
と書くと、近代文学が専攻だったのかと思われるかもしれないが、私が専攻していたのは、比較文化学類現代文化コースという、なにをやっているのかわからないコースで、実際、同じコースの中に英文学、仏文学、文化地理学、人類学、映画論、哲学、、、など様々な専門を選択する人がいて、また、それが許されるコースだった。だが、互いになにを卒論のテーマにしているかは、いまひとつよくわからない、といった感じだったような気がする。(もっとも、それは、私が他人の研究にほとんど興味を払っていなかったせいかもしれない。)

ただ、そんな雑多な関心傾向の学生のなかでも、近代日本文学の中原中也をテーマにするのは異色で、(なぜなら、ちゃんと「日本文学」専攻コースも存在し、日本文学に興味がある学生は当たり前にそちらを専攻に選んだからだ)、テーマを聞いて、担当教員は、驚くか、これは至極困った、という表情をし、実際そう言われたのだが、それでも最終的には引き受けてくれたのだった。私がいた学部は、ゼミ制度となっておらず、卒論は、自分で主査と副査(2名)に指導を依頼するという形になっていた。私の場合は、主査は仏哲学(現象学が専門)、副査は文化人類学と仏文学で、これまたどこにも日本文学の教員がいないという設定で、「これで本当にいいのか?」と教員も何度も頭をひねりながらも引き受けてくれたのだった。ただ、中原中也をテーマにしたとは言っても、日本文学の系統の話ではなく、中原中也の詩論を論じる内容だったため、これを日本文学専攻に持っていっても、テーマにはならないだろうと思われ、また教員もそう判断したため、引き受けてくれたのだと思う。当時流行りであった学際的教育を標榜していた雑多な学部であったからこそ書くことのできたテーマであったと思う。同級生には、認められていないにもかかわらず、前触れもなく小説を卒論代わりに提出し、受理できないと言われたものの、すったもんだで受理してもらい、審査の席で英文学の教員に酷評された(でも卒業はさせてもらえた)と言う人もあったらしいので、それに比べれば、テーマこそ異色であったものの、論文指導をきっちり入れてもらった私の卒論は、まだましだったと思われる。(参考文献リストもきっちり入っていたのだが、その箇所は紛失してしまったようだ。)

私が大学に在学した頃は、日本のアカデミアに自由な学風が残っていた最後の時期だったのではないかと思う。学びたい者はいくらでも学ぶ機会を与えられ、教員も快く付き合ってくれ、またその余裕もあった。私はそんなに真面目な学生ではなかったが、真面目な学生たちは教員から多くを学べたのではないかと思う。私も卒論を通じて、論文の書き方を指導してもらえたことは、その後の糧になっている。原発事故の後、放射線関係の論文も書くことになったのだが、特に苦労せず書くことができたのは、この時の指導の賜物だ。ジャンルが異なるので、若干作法は異なり、面食らうところもないわけではなかったが、かっちりと論理構成することを若いうちに習得すれば、他のジャンルでも応用は効くものなのだと思う。(文系の学際学部の応用力を馬鹿にしないでいただきたい。と、しばしば文系を見下す言説をみるたびに思う。これは蛇足。)

そういうわけで、当時の指導教官への謝意を捧げつつ、読み返さないままに若書きの卒論をアップしてみる。(仏哲学の教員には、「読ませるいい論文だった」と審査のときに褒められたが、自分で読み返して見ていいと思う自信はない。)

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