猫埋葬記

 老猫が死んだ。
 その前々日あたりから、外の風通しのよいまったいらな床面の上で寝転んでいることを好んでいたから、洗濯物を干している午前中は足元のコンクリ土間へ寝かせ、昼前、直射日光が強くなりはじめた頃に室内のいちばん窓際の風が通る場所に移し、バスタオルの上に寝かせた。

 午前中のうちは、周りに動きがあると、ノロノロと顔を上げ、体を起こそうとしたりもしていたけれど、昼頃には、それもなくなり、ほとんど身動きせず、体を横たえたまま呼吸だけをしていた。同じ姿勢のままもつらいだろうと、ときおり向きを変えてやっていた。昼過ぎ、抱き上げて向きを変えると、嫌がるようなそぶりをした。そのまま寝かせてすぐに、かすかに呼吸活動で上下していた腹の動きが止まっていることに気づいた。ああ、ついに、と思って撫でながら見ていると、足を突っ張らせて、何かをまさぐるように数回踏み足をした。最初、後ろ足、そのあと、前足、そして、前後両足。やがて、咳き込むような息を吐いて、身動きしなくなった。

 呼吸が止まってからの動きは、生理的な反応で、その時にはすでに事切れていたのかもしれない。死語硬直がはじまる前に、目を閉じて、いつも眠っている時のように体を整え、それから、お気に入りの猫用のベッドに寝かせた。誰に見せても、美人な猫ですね、と言われた猫だったから、最後も、身綺麗に整えてやれてよかった。

 夕刻、帰宅した夫と、庭のモミジの下に埋葬した。暗い穴にそのまま寝かせるのは忍びないだろうと買ってきておいた花を敷き、その上に体を横たえた。死後硬直で、体は眠ったままの形で固まっている。

 この猫は、いろいろと性格に難がある猫で、一緒に暮らしていくのに苦労も多かったのだけれど、和毛はそれらを補う大きな美質だった。もうひとつの美質が、一緒に眠ってくれる猫だったことだ。盛夏の時期は別として、必ず、夜は私のそばで寝ていた。決まった場所で決まったようにしないと気が済まない性格だった。最初は、私と顔を並べて寝ることを好んだ。人間のように、一緒に枕に頭を乗せて眠るのだ。途中で、枕よりは私の腕の高さの方がちょうどいいと気づいたようで、最近は、脇の下に入り込むと、私の腕の上に顎を乗せて眠っていた。そんなふうに眠ることに、自分の存在価値をかけていたのではないかと思う節もある。あとから来た新入り猫が、私の布団に入ってきて同じように脇で眠ることをひどく嫌がった。一度、新入り猫が、いつもの自分の場所を占有しているのに気づくと、信じられない事態が起きた、と言わんばかりの剣幕で怒り出し、憤然としてベッドから離れてしまった。それから1週間くらいは、一緒に寝ようとしなかった。和毛は、顔を寄せるとやわらかく心地よく、いつも、お日様と土埃が混じったよい匂いがした。

 彼女をもらってきたのは、私が福島に住むようになって1年後だった。思い返してみれば、私のここでの暮らしのほとんどすべては、彼女と一緒に過ごしてきたのだった。原発事故を境として、前半生と後半生とが、ほとんど半分に区切られる。原発事故の後に大きく変わった私の生活変化の影響をまともに被ったのも彼女で、それまで、私は夫の仕事に一緒に行く他は、基本的にずっと家にいて、何をするにもべったり一緒にくっついていたのに、原発事故後、家を空けることが増えてしまった。たぶんそのせいではないかと思うのだけれど、一時は、情緒不安定になってしまって、おしっこをあちこちに引っかけたり、いつも不機嫌で、何をしても怒ったり引っ掻いたりするものだから、困ってしまったこともあった。やがて、慣れたのか、ここ数年はそれも落ち着いて、私が1週間以上不在のあと戻っても不機嫌な様子を見せることもなくなっていた。

 昨年のパンデミック以降は、私はほぼ在宅で、出かけることもなくなった。毎晩一緒に眠るのもそうだったけれど、事故前のように、一緒に昼寝をすることもできた。体調が悪そうにしていても、様子を気にかけてやることもできた。もし、パンデミック前のペースの生活が続いていたら、こんなふうに一緒に時間を過ごしてやることはできなかったろう。1年間、たっぷりと過ごす時間ができるまで、彼女は待っていてくれたのかもしれない。

 埋葬した場所には、夫が墓標を立てた。竹を切って、花を備えるための竹筒を作ってくれたので、庭先に咲いていた黄菖蒲の花を生けた。眺めていると、もう一匹の若い猫がやってきた。気難しい老猫は、最後まで新入りに心を許さず、仲良くなることはなかったけれど、さりとて、喧嘩をしていがみあっていたわけでもない。老猫とは違い、あまり構わない性格の若猫は、それはそれで楽しむ生活のやり方を見つけて、微妙なそれぞれの領域を守りながら、共存していた。ここ数日の様子が違うのはわかるのかわからないのか、若猫も戸惑っている様子に見えなくもない。近寄ってきた若猫は、埋葬した場所の地面の匂いを嗅ぐと、墓を踏み越え、すぐ向こうの草むらに腰をおろした。それから、神妙な顔をして用を足した。