プリーモ・レーヴィ『休戦』読了

よい本だった。こういう描写のしかたの文章を自分も書いてみたいと思わせる、人間味のあふれる穏やかな、それでいて深い悲しみのある文章。

つづいて、安克昌『心の傷を癒すということ』を読み始める。これは宮地尚子さんが『みすず』の今年の5冊のなかに、私の『海を撃つ』と並べてあげていたから。阪神淡路大震災のことは、東日本大震災が起きた直後からなんども例に出されていたし、中井久夫の『災害がほんとうに襲ったとき』もずっと手元においてあるけれど、開かないままだった。この理由ははっきりしていて、とても読む気になれなかったからだ。自分の経験を整理するのにいっぱいいっぱいで、別の人の災害の経験を読める気がしなかった。おそらく災害直後の記述もあるだろうし、精神的にも耐えられる気がしなくて、書棚に並べたままだった。ようやく読んでみる気になれたのは、時間が経ってやっとそれだけの心の余裕が持てるようになったからということだろうし、あと、宮地尚子さんの著書を読んでみて、やっと自分の経験を相対化できる気がしたというところも大きい。震災後の経験は、多くの人がそうであるように、人に言えることも言えないこともたくさんある。それらが混沌として、いったいどのように位置付ければいいのか、手つかずのままになっている部分も多い。宮地さんの『環状島』は、私の経験したことが、私固有のものではなく、災害トラウマをめぐる大きなできごとの中に附置できることを教えてくれた。だから、他の人の災害の経験を読んでみよう、と思えるようになった。そんな気がする。9年必要だったのだと思う。もっとかかる人もいるだろう。死ぬまで無理な人もいるかもしれない。災害とは、トラウマとは、そういう出来事なのだと思う。