モミジの下で

2匹飼っている猫のうち1匹、老猫のここ数日の衰弱が著しく、食事も取らなくなってしまった。みるみる痩せ細って見ているだけでも気の毒なのだけれど、もともと気難しく、動物病院に連れて行くのもパニックを起こして、死んでしまうのではないかと思うほどの暴れぶりだったから、動かすのもさらに気の毒で、どうしようもなく見守っている。18歳。寿命なのかもしれない。

食事も取らないで、ずっと私のベッドか、お風呂の蓋の上でうとうとしていたのに、庭先で洗濯物を干していたら、のろのろとコンクリ土間の上に下りてきた。お天気がよくて、きもちよかったのかもしれない。後ろ足が立たなくなってきているから、よろめきながらゆっくりゆっくり歩いた後、縁側にようやくのぼり、しばらく静止したかと思うと、コマ送りの画面のように体を横たえた。ここで昼寝をすることにしたらしい。かわいた初夏の気配。庭のモミジは、緑あざやかに葉を風にひらめかせる。隣家のケヤキの大木からの葉擦れの音だけがあたりに響く。前にもこんな時間があった。去年もあった。その前もあった、もっと前にもあった。人だけが入れ替わる。残り少ない老猫の時間。

ここのところ、世界の景色が急激に変わっているのが見えて、こわいくらいだ。2015年から(社会構造的に)劇的な変化が起きているのだと思うけれど、それがいよいよ表面化してきているのかもしれない。変わっているうちは自覚しない。気付いたら、あたりの景色がまったく変わっている。起きているのはそんな類の変化だ。

大学を出た後、震災が起きるまで、私は、ほとんど社会と接触をしないできた。それが可能だったのは、そして、十年以上ぶりに社会と接触を持ったにもかかわらず対応することができたのは、その間、社会がほとんど変化していなかったことによるところが大きい。実際、気付いてみれば同級生は社会人として立派に働いてはいたものの、世の中はさして変化はしていなかったので、自分が年相応に世間慣れしていないことを除けば、社会の変化に戸惑う場面はほとんどなかった。おそらく、2015年以降の5年間の変化の方が、その前の20年間の変化よりもはるかに大きいし、これからの数年間はそれよりもさらに大きな変化が訪れるのではないかという気がしている。

常套句のように「時間が止まっている」と言われる、帰還困難区域の道路沿いの民家も解体がはじまっていた。人の住まない帰還困難区域も、実際のところ、時間は止まってなどおらず、完膚なきまでに風景は作り替えられていっている。政府が工事を行っているところは、人為的な作業によって、そうでないところは、経年変化と植物の浸食によって。震災前の景色がどのようなものであったか、記憶を探らなければわからなくなってきている。

おそらく、昔からの街道沿いの集落だったのだろう。国道六号の両脇に古い家屋が建ち並んでいた一角も解体されていた。歴史ありそうな大きな家屋が傷んでいく有様も痛ましくはあったけれど、わずかに敷地境界の直線のコンクリ塀だけを残し、更地が整然と並ぶのを見るのも残酷だ。ハンドルを握りながら、ひさびさに喉の奥から悲鳴にならない、空気の量の方が多い擦過音があふれ出た。ああ、この景色もなくなっていく。そういえば、聖火ランナーは、ここを通ったんだっけか、いや通らなかった。あれは何年前、いや、わずか数ヶ月前の話だったか。車中から見えたモニタリングポストに11.6という数値。事故原発から近いポイント、もっとも高い地点のひとつになるだろう。それでも、そんなにあったんだっけか。

老猫が子猫だったとき、この道をのせて通った。成長してからは、大の車嫌いになったけれど、その頃はまだ幼すぎて、よくわかっていなかったのかもしれない。車の中でおろおろはしていたけれど、暴れたりはしなかった。立ち寄ったガソリンスタンドで給油するお姉さんが、かわいいとはしゃいでいた。そのガソリンスタンドはとっくに荒れて見る影もなく、いつか気付けば解体されていた。いつも車を停めたコンビニは残っているけれど、窓にはコンパネ板が打ち付けられている。その景色は無粋ではあるが、解体すれば景色も消える。風景が消えれば記憶はいきどころがない。捨てることもできず、ただ、やり場もなく想念は漂う。

老猫が死んだら、庭のモミジの下に埋めてやろう、と夫が言う。そうだね。モミジを見れば思い出す。葉擦れが聞こえれば思い出す。紅葉すれば思い出す。落葉すれば思い出す。新芽が吹けば思い出す。やがて誰も思い出さなくなっても、記憶は景色と一体になる。誰もいなくても、私がいなくなっても、老猫はきっとそこにいる。

シェア