風評被害とメディア報道

Social Amplification of Risk Framework の理論のおかげで、非常にクリアに見えるようになったことがいくつかある。

一つは、風評被害に関する報道についてだ。

論座の記事にも書いたのだが、福島の風評被害についての報道が急激に増えたのは、2016年のいじめ報道をきっかけとしたものだ。それまでも、関係者や地元の人間には、大きく問題視されていたが、全国的な報道ベースに乗ることはあまりなく、その重大性が認識されているとは言い難かった。

2016年に急に報道で大キャンペーンが始まったのは、かなり奇妙なことである。農産物の卸価格の推移を見ても、事故直後から2014年にかけてが最も価格低下が著しい時期であり、2016年は回復基調にはっきりと乗っている。(とは言っても、その後一定程度まで回復した後、全国平均と価格差が残る形で固定化してしまったわけだが。)

いじめといった人間に対するハラスメントについての統計データはないが、おそらくこれも事故発生から2014年頃にかけてが最もひどい時期であり、SNS上の反応や人から聞く話を勘案しても、2016年は減少傾向に入っていたと考えるのが妥当だろう。従って、報じられた「いじめ」も2016年当時から見て、過去の事案が多かったように見受けられる。

なぜ、現実的な風評が収まりつつあった段階で、急に報道キャンペーンが始まったのか、その理由は定かではない。ただ、一つ言えるのは、このことによって時系列が逆転し、風評が現在進行形で悪化しているとの印象が広く伝わってしまったのではないか、ということだ。

似たような事例が、先日書いた記事で紹介した論文の中にチェルノブイリ事故後の事例として、紹介されている。

チェルノブイリ事故後に、甲状腺癌が増加したことは知られている。これは、事故から5年ほど経過して発見された。この甲状腺癌は、事故が起きた際に放出された放射性ヨウ素131を大量に摂取したことが原因となっている。放射性ヨウ素半減期が8日と大変短いため、事故から数ヶ月経てば既に見つからなくなっており、摂取時期は事故直後の時期に限定される。つまり、甲状腺癌が増加したことがわかった時点では、原因物質は存在しなくなっていた。

ところが、甲状腺癌が増加したことが広く知られた時に、その因果関係について大きな混乱が起きてしまった。人々は、既に存在しなくなった事故直後の放射性ヨウ素131ではなく、今現在残っている放射性セシウム134、137によって甲状腺癌が発生していると誤って認識してしまったのだ。つまり、過去の(終わってしまった)被曝が原因ではなく、現在の被曝が甲状腺癌を現在進行形で引き起こしつつある、と認識したのだ。このことは、未来に対する強い懸念と不安感をも引き起こすことになった。(ちなみに、放射性セシウム甲状腺癌を引き起こすとの誤解は、福島事故後の日本でも見られるが、その理由は、このチェルノブイリでの誤解が日本にそのまま伝わったということに加えて、同様の因果関係の混乱があるということだろう。)

この因果関係の混乱は、風評報道についても当てはまるようにも思える。報道が過去の事例を大々的に伝えた結果、経済的被害としての風評も、スティグマとしての風評も、実際には改善傾向に向かっていたにもかかわらず、現在進行形で悪化しているとの印象を強く与えることになり、そのことが未来に対する強い懸念と不安感を引き起こすことになった側面は大きいのではないだろうか。

当初3年間の実際に風評が酷かった時期における、全国報道のその冷淡さについては、批判されるべき点は大きい。また、風評とは端的に、マスメディア時代の報道が引き起こす災害であるから、マスメディアが存在する社会においては避けられない社会現象であるとはいえ、倫理的な責任は存在すると言える。(と言って、ここでマスコミを「風評加害者」であるとレッテルばりするつもりはない。社会の分断は、また違う意味での害悪となる。)

一方で、2016年以降の時系列を無視した報道が与えた負の側面についても、見直される必要があるのではないだろうか。現在の調査では、風評は流通の各段階において、風上が風下が「福島産を忌避しているだろう」と忖度することによって、強化、固定されていることが示唆されている。このさらなる背景をいえば、「あれだけ風評被害があると報じられているのだから」、福島産を忌避している人は多いに違いないという発想があることが推察される。現実的に価格差は残っているし、嫌な思いをした人もいる。だが、時系列やその時期の実態以上に被害を大きく報じることによってさらなる被害を呼び起こした可能性も否定できないのではないだろうか。もちろん、マスメディアだけでなく、SNSもこの情報増幅機能で大きな役割を果たしたことは言うまでもない。