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JLは、詩の言葉が好きなのだと言った。
サイエンスの言葉は、とても貧しい、と。
この言葉で、きっと憤慨するに違いない何人かの名前と顔を思い浮かべて、私は、吹き出してしまいそうになったのだけれど、JLが、真面目な顔をしているものだから、努めて顔の筋肉を引き締めた。
JLが言うのは、いつもサイエンスと社会のあいだの話だから、どういう意味で貧しいというのか、私にはよくわかる。
サイエンスは、それらの領土の中のことを、とても適切に語る。
しかし、社会にうまく語りかける言葉を持っていないのだ。
詩は、つねに、語りかける。
まだ見ぬ人、やがて会う人、決して会うことのない人へ。
かつて存在した人、いま存在する人、これから存在する人へ。
JLは、以前、私が送った文章をとても気に入っているのだ、と、彼のディスプレイに表示してみせた。
友人が英訳してくれたその文章を、私は、不思議な思いで、みていた。
これは、詩ではなく、手紙だ。
JLに宛てた。
けれど、詩の言葉が、常に誰かに語りかけることを本源とするのであれば、私信もまた詩にふさわしい形態なのかもしれない。
詩は短い言葉に、深く広いものを込めることができる、すばらしい、と言う、大袈裟に違いないJLの讃辞の半分は、翻訳者に分たねばならないだろう。