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あの時、我々のうえに降りそそいできたものは、なんだったのだろう。
それらは、物質でもなく、原子番号をもつ元素でもなく、電離放射線でもなく、我々のうちにある、不可視のものとして押しとどめていた、なにものか。
その話を知った直後は、なにもかにも予期していた通りであった、と、なんの感慨も持たなかった。
いっとき経ってから、こみ上げてきたのは、怒りでも悔しさでもなく、かなしさだけだった。
彼らは、どうしてよいかわからなかった。
だから、彼らの普段のとおりに、行動した。
あるいは、普段のとおりに、行動しなかった。
彼らは、自分を守りたかった。
だから、少し離れた人のことは、考えないようにした。
あるいは、目の前の見える範囲のことだけを、優先した。
彼らは、自分一人だけ貧乏くじを引くのが嫌だった。
だから、誰かがしてくれるのを、決めてくれるのを待っていた。
あるいは、誰もしないことを、決めないのを黙認した。
彼らは、困っていた。
だから、自分よりも困った状況にある人のことは、考えないことにした。
あるいは、入ってくる言葉から、耳を塞ぐことにした。
彼らは、ただ、ただ、日常の延長として、それらをやり過ごそうとした。
すべては、日常の延長において行われ、そして、その日常は現在も続いている。
我々の日常とまったく同じ相貌で悲劇は起こり、再び、三たび、繰り返されるであろう。
この日常が変わらない限り。
五月の底から見える景色は、あかるく、かろやかで、しずけさに満たされている。
かなしみとは、このように穏やかで美しい心模様であったか。
ただ、胸だけがいたい。