■レッドゾーン

 やさしい目をした彼が、レッドゾーンに人が暮らす事は、考えられない、あの土地は、abandon するしかない、とても、とても、悲しいことだけれど。
 と言うので、そんなことは、とうに覚悟していた、わかりきっていたのだけれど、それでも、動揺する気持ちを抑えられなかった。

 私は、チェルノブイリ近郊の、重機で破壊され、そして埋められたという、いくつかの街を思い浮かべた。
 廃墟のまま、街を放棄するよりも、跡形もなく消滅させてしまう事は、あるいは、温情なのかもしれない。
 更地となったその地で、植物は繁茂し、野生の動物が闊歩し、しかし、それとて、救いではない。
 暴力的な温情と、あたたかい非情と、どちらの選択をするのがよいのか、いや、おそらく、この国の人々は、どのような選択も好まず、ただ、時間の経過に任せるのであろう。

 ゲートに閉ざされたあの地は、
 そこで暮らした人々は、
 あの生活の痕跡は、
 防護服の記憶に彩られ、
 それは、なにかの空想のものがたりであるかのような、
 あまりに非現実的な、
 カタストロフィが、このように、虚脱感ただようものであったとは。
 なんという物語なのか。

 チェルノブイリの30km圏内に故郷を持つ画家の絵を幾枚も見た。
 その絵は、廃墟と嘆きの記憶に彩られ、力強いタッチではあったが、悲劇の記憶は色濃く、正視できなかった。
 このような形でしか、カタストロフィはあがなえないのであろう。
 それほどまでに、深い喪失。
 しかし、それでもなお、私は願う。
 その記憶が、美しいものであるように。
 やがて、誰かが描くであろう、暮らしの記憶が、嘆きと悲痛に貫かれたものではなく、
 あの地の穏やかさと、退屈さと、凡庸さと、ただ、あるだけで充たされていた、それらの時間をうつしだしたものであるようにと。