追想私記

 もう何年も前の事になる。
 昼下がり、いや、既に日が西へ向かって傾きかけていた時刻だったろう、彼女からの電話がかかってきたのは。
 それは、ひどく唐突な電話であったため、私は、困惑を隠せないまま、会話を続けたはずだ。
 どのような用件から始まったのかは、記憶していない。
 彼女と面識はなく、私の書く文章が好きだといって、数度のメールと、数通の葉書をもらったことがあるだけだった。
 しかし、私を彼女に紹介した知人との間に、ちょっとしたトラブルがあり、その影響で少しばかり迷惑を蒙っていた私は、おそらく彼女に苦言めいた、あるいは諫めるような事を言ったのではないか、と思う。
 はっきりと覚えているのは、彼女が「あなたは強いから、私の気持ちなどわからない」と強い調子で言い、私はそれに反駁したことだ。
 彼女は聞く耳を持たず、さらに言い募り、「もう、いいです」と、一方的に電話を切った。

( 強いだ、弱いだ、そんな言葉は聞き飽いた。
  しょせん、人は関係性の中でしか生きられない。
  強い人間が、弱い人間がいるのではない。
  ただ、関係性の中で、そのような位置に置かれるだけだ。
  そして、私は、たいてい、強い位置に置かれる。
  ただ、それだけのこと。)

 数日後、知人から連絡があった。
 彼女が縊死したと、電話口の彼は、沈んだ声で言った。
 私に電話があったその日、おそらく、電話を切って間もなくのことだった。
 私は、一瞬、絶句した後、彼女との会話を思い起こし、湧き上がる感情を抑えられなかった。

 ふざけるな。
 関係性を一方的な枠組みに押し込み、強弱の関係に落とし込んだ挙げ句に、自死することにより、強弱関係を反転しようというのか。
 そして、その事により、私になんらかの傷を与えようというのか。
 私は、こんな死に方は認めない。
 絶対に認めない。

 爾来、私は、彼女の死に方を認めていない。
 彼女の生死と私の生は、どのような意味においても、ただしく等価である。
 そこに、いささかの位階関係も成立しない。
 ゆえに、私は、彼女の生も死も、ただ、あるがままに受け止める。
 それだけだ。
 彼女は、自らの選択で死を選んだ。
 そこに、わずかなりとも、別の意味を付与するつもりはない。

 放っておいても、人は死ぬ。
 何事も、命をかけるに値するものなど、存在しない。ただ、生きることを除いて。