■奔流

 日々は、淡々と過ぎ、その事だけが、ただひとつの基盤である、そんな気がしていた。
 震災後は、毎日泣いていた、と誰かが言うのを聞いた。
 私は、その絞り出すような、あるいは、噴き出すような言葉を、深い同情と共に聞いた。
 しかし、とある時、それが、私自身の姿であったことに気付いた。
 震災後は、毎日、泣いていた。
 悲しいのか、悔しいのか、腹立たしいのか、憎いのか、それら、すべての感情がないまぜになり、噴出する。
 感情の抑制のタガがひとつ、外れている。
 なにかのきっかけで、それらは、とめどなくあふれだし、しばし、手がつけられない。
 数時間、あるいは、数日。
 その経験は、塞ぎかかった傷跡を、ふたたび、手でこじ開けられ、そこから、皮膚の内側が覗いて見える、そんな感覚に似ている。
 心的外傷とは、よく言ったものだ、と思いながら、内側から溢れ出す奔流に身をまかせる。
 淡々と過ぎる日常にあいた破れ目を、すこし驚きながら、眺めている。
 少なくない人々が、おなじ思いを抱いているのだろう。
 時が、解決するかも知れないし、しないかも知れない。
 つきあえるところまでは、この感覚に、つきあっていく。