アドリアナ・ペトリーナ『曝された生』感想

人類学者である著者が、主として1996年頃のウクライナにおけるフィールドワークを元に、チェルノブイリ事故後のウクライナの人々が、いかに自らの存在を変容させ、新たな生物学的統治メカニズムに対応して来たか(できないで来たか)を、文書資料なども豊富に使いながら、詳述した著作である。著作中で参照されている資料の豊富さもさることながら、著者が第二次世界大戦時のウクライナから逃れて来た移民というルーツを持ち、ウクライナ語に堪能であるということもあり、充実したフィールドワークと資料引用が可能となっている。またもう一点、著者が女性であるということも大きな背景となっていると思われる。聞き取りの一部は、おそらく、著者が女性でなければ聞き取り対象者が話さなかったであろう内容も含まれており、ジェンダーの問題は直接的には語られてはいないが、見えない背景をなしていると感じられた。
本書における分析の観点は、監修の粥川準二氏の解説にあるように、ミシェル・フーコーの「生権力」「生政治」の概念を用いており、フーコーに馴染みにある人間であれば、枠組みとしての理解は平易であろう。フーコーに馴染みのない読者には、まず、粥川氏の解説を読んでから、本文を読むことをお勧めしたい。
 
本書を通読して感じるのは、チェルノブイリ以降、そして、その後のソ連崩壊を受けて、ウクライナという国家に起きた凄まじいまでの混乱である。その混乱について、大多数の人間は、放射線の健康影響という側面以外には、目を向けて来なかったというのが実情ではないか。ひとつには、放射線の健康影響は、科学世界における一定の領野を持つ共通の関心事であったのに対して、社会全般に対する影響は、問題が広範に渡るため、専門分野の領野に治まらず、問題設定が難しかったということはありそうである。また、ソ連崩壊後、独自の道を歩んだウクライナ社会のあり方を特殊なものとみなすことによって、共通の関心となし得なかったことも考えられる。本書の中で描かれるいくつかの家族の姿は、チェルノブイリの影響が濃厚なものも見られる一方で、社会主義体制崩壊後の旧ソ連諸国に共通するであろうと思われる部分もあり、また両者は相互に深く関わっているため、その影響を見極めるのは難しい。それに関しては、ベラルーシノーベル賞作家であるスヴェトラーナ・アレクシェービッチの『セカンドハンドの時代』を併読すると、より立体的に見えてくる。本書末尾にあるアントンとハリア夫婦のエピソードは、チェルノブイリ事故の被災者という側面よりも、ソ連崩壊後によく見られた家庭崩壊のケースの一例ではないかと思われる。もちろん、その過程においては、チェルノブイリの経験が深い影を落としているが。(それにしても、旧ソ連諸国の家庭のエピソードは、どれも濃厚な暴力と死に縁取られており、しばしば言葉を失う。)

だが、そうした旧ソ連ウクライナの社会状況の特殊性という面を考慮してもなお、本書から我々に共通する課題を抽出することは可能である。
放射線における健康影響の問題が社会的に決着を見ない要因の一つに、健康影響を政治目的に利用しようとする動きがあることはしばしば指摘されるが、そうした政治的意図がなくとも、なお、健康影響の問題は残り続けるであろうことも本書から示唆される。WHO等国際機関の公式見解では、チェルノブイリ事故の放射線の直接的影響によって死亡した人数は、237名であり、それ以外は、甲状腺癌の増加が見られるのみとなっているが、本書の中では、直接的、間接的にその見解に対する疑義が提示される。そもそも、少なからぬ被災者は、自分自身の被ばく線量を知らない。中には、事故直後の時期に原子炉直近での作業に当たったにもかかわらず、被災者認定を受けていない人もおり、公式見解に対する疑義が提示されるのは止むを得ないことであるようにも思える。また、放射線の影響に関する確率的影響については、統計的、事後的にしか把握し得ないことが本質的な問題として存在する。統計は集団を把握するためには、有用であるが、一方、統計集団の一員である個人の状態を示すものではない。統計は、集団的、かつ事後的であるのに対して、病は極めて個人的なものであり、個人が関心と不安を抱くのは、自分の身体と未来に対してである。同様に、病によって受苦するのは特定個人であり、どのような集団、あるいは個人も、その苦しみを代わり得ない。統計的理解と個人の苦しみや不安の間には、深い溝があり、両者の空隙を埋めるものはない。すなわち、疾病全体が統計的には増えていないことは検出されたとしても、あなたの病がそうであるかどうかはわからない、と言われて、理解はできても承認し難いと人々が感じたとしても至極当然であろう。これらは、統計的な把握には、個人の生のレベルにおいては本質的に「不可知」の領野が残り続けることを示すものである。どれほど「知」の領野を拡大させ、充実させようとも、それが統計的把握の限界である以上、「不可知」が消えることはない。知で覆い尽くそうとすればするほど、反逆を試みる。(そういえば、「知る」という言葉は、古くは、「統治する」ことをも意味した。フランス語の connaitre にも統治するの意がある。)ウクライナの被災者は、知−不可知の価値の転倒させ、みずからを支配する「知」に対して、生存戦略として「不可知」を用いた。
個人の生における、こうした統計的把握に潜む根本的な疑義に加えて、科学の政治性が知−不可知の緊張関係を加速した。例えば、ソ連時代に急性放射線障害のプロフェッショナルであるアンゲリーナ・グスコワが示した判断は、急性放射線障害以外の健康への影響は存在しない、といったものであった。急性放射線障害を生き抜いた人々は、急性症状が落ち着いた数年後に被災者認定を解除されたようである。グスコワ医師は、チェルノブイリ関係の文書には頻繁に名前が出てくる優れた臨床家であると同時に、研究者であった。ステロタイプの冷たい科学者というタイプではなく、患者の救命のために尽くしたとの評価は、患者側の証言にもあり(アレクシェービッチ『チェルノブイリの祈り』)、私も彼女と面識のある人から同様の評価を聞いたことがある。彼女が誠実な臨床家であり研究者であったとしても、本書からは、彼女の放射線障害に対する一連の判断そのものが、結果として濃厚な政治性を帯びたものとなることになったことがうかがえる。本書では深くは言及されないが、一般公衆の被ばくの上限についてもそこに強い政治性を指摘できる。事故直後のソ連時代には、上限値は生涯35レム(350mSv)と設定されたが、ソ連崩壊後、ウクライナほかCIS諸国では生涯7レム(70mSv)が採用された。このプロセスは、当時のソ連科学アカデミーの放射線防護政策の責任者であったL.A.イリーンの著書『チェルノブイリ 虚偽と真実』に詳しいが、その経緯は、まさに「政治」である。一方、イリーン自身は、自身が当初に定めた35レム基準を「科学的」であるとみなしている。しかし、その決定もまた「政治」であった。しばしば、科学者は、社会において設定される科学基準もまた政治の一部であるということに対して、あまりにナイーブであるように見える。統治のメカニズムに取り込まれた科学は、純粋な、そしてどこか牧歌的な、物質世界のあり方を知的探究心のために探るという意味合いでの「科学」ではなく、社会における利害を呼び起こすという一点において、政治化された存在となることは自明である。
本書の中では、チェルノブイリ事故後の健康影響に関する基準や判断がどのような変遷を辿ったかも証言及び文書、論文などから詳述されているが、科学が統治機構のメカニズムに取り込まれ政治化された中、「倫理」が重大な意味合いを帯びて立ち上がってくる場面がある。ウクライナ放射線研究センターの医師が、IAEAなど国際機関に対する強い怒りと不信を表す場面である。つまり、国際機関が作り上げた「真実の体制」は、「比較的無傷でこの文脈に出たり入ったりできる彼らにはほとんど何の犠牲も強いることがない。一方でこの体制が、災害の検証に携わり続ける科学者や臨床医にもたらし得る道徳的影響は破滅的だ。」「彼らは自分たちの権威と技術的資源の支配を利用して、科学的知見を「公式の」言説対「非公式」の言説、「正当性のある」科学対「正当性のない」科学へと分類する。」 この臨床医は、自分のもとを訪れる被災者たちの少なからぬ者たちが、その病と苦しみを生存のための手段として利用しており、病や苦しみを誇張していることをよく理解している。それでもなお、なんらリスクを負わない高みから決定し、指図する同業者たちに対する怒りと不信を抱き、彼らはチェルノブイリの影響を「過小評価」している、と評価する。この箇所には、その決定によってなんら影響を被ることのない人々が、直接的に影響を被る人たちに対して、一方的な決定を下すことの倫理的問題が鋭く指摘されていると理解すべきだろう。どこまでも医療とし、どこからを医療の対象としないのか、それを誰がどのように決められるのか。その決定に対する信頼はどのように確保されるのか。医療が統治のメカニズムに組み込まれた社会において、純粋な科学とはまた次元を異とする倫理的問題が立ち上がる様がここに描かれている。

本書の最終章では、「自己アイデンティティと社会的アイデンティティの変化」について述べられている。前述したように、アントンとハリア夫婦に関しては、ソ連崩壊の影響が色濃いものであるように思える。ソ連崩壊を境に、学校で教えられていた全てのこと、親世代の全ての知恵と価値観が役立たずのものとなった。そこに経済的崩壊も重なり、熟年世代の多くの人々が、社会的役割の一切を失うことになった。このことは、『セカンドハンドの時代』に見事の描かれている。日本も、第二次世界大戦の敗戦を境に、価値観の転倒が起こっており、それと同様の、あるいはそれ以上の衝撃が国全体に及んだことが見て取れる。ソ連時代の価値観を捨てられない人々は、ソヴォーク(ソ連人)との蔑称で呼ばれた。
この激烈なアイデンティティの崩壊と、原子力災害におけるアイデンティティの変容は、私見では、若干異なるように思える。原子力災害でのアイデンティティの変容は、表面的にはより穏やかであり、静かに進行する。「自分になにが起きているのかわからない」「この先どうなるのかわからない」 長期間にわたって残存する放射性物質の存在が、未来に対する自信を揺るがし、不安を掻き立てる。また、生活環境に対する安心感も失われる。自己アイデンティティは、生活環境によっても支えられている。環境に対するそれまでの信頼感に基づく結びつきが揺らぐことによって、自己アイデンティティもまた同じように揺るがされる。他者との繋がりにおいても同様のことが起きる。自分と他者、自分と社会、生活をつなぐあらゆる蝶番が歪み、あるいは不調となる。また、避難する環境になった場合は、それまでの社会的繋がりや社会における自分の位置付けの一切を失うことになる。一から自己アイデンティティを組み直し、また、社会的アイデンティティを構築するという作業は、年を重ねた人であればあるほど、大きな困難をきたすことになる。
人は、社会との安定した繋がり、そして自分自身の役割と居場所を見つけられなければ、安定した暮らしを営むことができない。また、自分の未来に対する(根拠のない漠然とした)信頼、自分自身の体をコントロールできているという身体に対する信頼。平時に暮らしていたならば、意識さえしない当たり前のことを、それらが不調をきたすことによって、まざまざと浮き彫りにするのが、原子力災害の特徴と言える。そうした不調を新しく再調整し、新たな自己アイデンティティと社会的アイデンティティを構築することが必要となる。

2012年にベラルーシにおけるチェルノブイリの被災地域を訪問したことがある。一度きりの訪問であり、どこまで実態に近づけているかは、やや心もとない部分もあるが、少なくとも、1995年前後のウクライナにおけるような破滅的な状況ではなかったことは確かである。これは、ベラルーシが、ソ連邦崩壊後も、社会主義体制のまま連続性を持ったまま継続しており、ウクライナに比べて、社会状況の破綻の衝撃がより穏やかなものであったことも関係しているのではないかと思っている。独裁体制の中で、体制の批判をする言論の自由が制約されているということを差し引いたとしても、人々は、当時の混乱や困難な状況を語りながらも、自身を「被災者」としてよりも、生活を立て直した、状況に立ち向かい、克服しつつある人間として語ることを好んだ。こうした語りが可能となったのは、その時期、ベラルーシ国内での被災地においては、個別の補償制度に加えて、生活状況(ウェル・ビーイング)の向上があったことが大きいように感じている。私が訪問した地域は、EUの支援が入った地域になるが、そこでは、研究プロジェクトのみならず、被災者、被災地域に直接、目に見える形でメリットがある支援が行われていた。具体的には、所得を増加させるための酪農支援の貸付制度、在来種より乳量の多い牛の導入、その他農業支援、また、健康診断制度の拡充による健康状況全般の向上等である。こうした全般的な生活環境(ウェル・ビーイング)の向上が行われた場合、「被災者」、あるいは「病者」としての自己アイデンティティを保持するメリットはほとんどない。むしろ、困難な現実に立ち向かい、克服した人間である方が、暮らしやすさは格段に向上する。隣国ウクライナとは、まったく別の自己アイデンティティの構築の過程がここにある可能性がある。(上述したように一度きりの訪問であるため、断定は控えたい。現実の諸相は複雑で入り組んでおり、私がここで記述したよりもはるかに複雑であろうことは察しつつ、比較のために敢えて記述する。)
こうした大規模、かつ人為的な災害における、その後の復興プロセスをどのように構築していくかは、非常に難しい問題であるが、ここで示唆されるのは、個々の補償を行うのと並行して、全体の生活状況の好転にリソースを振り向けることが、人々を生政治の渦に巻き込む危険性がより低くなる、ということではないだろうか。

多くの人が、本書を読み、東京電力福島第一原子力発電所事故後のあり方を連想するだろう。日本も同じような状況になるのか、と。現状、ウクライナほどの状況にはなる可能性は、極めて低い、と言って良いと思う。その理由は、多くの問題をはらみながらも、現状、日本の社会状況は、ソ連崩壊後のウクライナに比べれば、はるかにマシと言えるからである。ただ、この先の社会状況次第では、ウクライナの状況に近づくことはありうる。日本の場合は、長期に渡った避難指示の影響が非常に大きく、避難指示の長期化にともない、生活再建、被災地域再建の難易度が格段に高くなっている。アンケート調査等を見ると、現在も続けられている賠償が打ち切られたのち、自力で生活していくことが困難になる人々が一定数存在する危険性がうかがえる。そうした人々のこの先の生活状況次第で、ウクライナよりははるかに小規模とはいえ、生政治に自ら参与する人々が増加する可能性は否定できない。原発事故と避難によって失われた経済的、社会的基盤、そして、社会的役割がこの先回復できるかどうかは、注意深く見守らなければならない。
粥川氏の解説にも触れられていた賠償の問題について付記しておく。総額としては非常に大きな金額が動いたことは事実である。しかし、それが避難者全体に満遍なく行き渡っているものでないことは、制度設計から明らかである。持てる者にはそれに応じて支払われ、持たない者には支払われない、それが賠償のシステムである。また、賠償の金額の妥当性は、生活再建の度合いによって変わってくることも注意が必要である。すなわち、失われた生活基盤がいつまでも回復されない場合、賠償の必要性は継続することになるが、それは、保証されていない。一時的にまとまった金額が入ったため、目につく使い方をする人たちがいたことは事実であるが、しかし、それがその後の生活再建を決して保証しないことは認識しておく必要があるだろう。今年、避難地域12市町村の世帯主を対象として取られた生活実態アンケートでは、すべての世代を通じて、30パーセント以上の比率で「生活費」に対する不安と困難を回答している。

曝された生

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