辺見庸『もの喰う人びと』の中に、チェルノブイリの立入り禁止区域の民家を訪れ、食卓を共にするエピソードがあったと記憶している。
 彼の漢語を多用した文体と相俟って、今にして思えば、戯画的と思えるほどに悲壮感と覚悟に満ちた描写であったが、彼が現地を取材した当時であれば、ありうべき感覚であったろう、とも思う。
 同著書の中の、他の部分はすべて忘失してしまっているにも関わらず、この箇所だけ記憶しているのは、私自身が、彼の恐れに共感しつつ、驚きをもって読了したからに他ならない。
 当時の私にとっても、その地は、普通の暮らし能わざる場所と認識されていた。

 いま、再び、そのエピソードのことを考える。
 おそらく、辺見庸が訪れたのは、ウクライナ側の地であった。
 現地で出会ったのは、「サマショール」と呼ばれる、そこが人の住むに不適当な地であると定められた後においても、故地に留まり続けた人びとであろう。
 しかし、サマショール、彼らが、なにか変わったわけではない。
 むしろ、逆である。
 彼らは、変わらなかった。
 これまで通りの暮らしを続けることを選択し、そして、この「選択」という、決意を孕んだ言葉さえ不適当であるような、ごく当然のありようとして、そこに居続けた、あるいは、戻ってきた。
 変わったのは、彼らではなく、外的環境だ。
 彼らがこれまで通りの、彼らにしてみれば「ごく普通の」暮らしをしているにも関わらず、その暮らしを知った私(たち)は、奇異と驚きの目を持って彼らを見、そして「サマショール」と名付ける。
 その位相の段差に、視界が揺らぐ。
 同じものを見ながら、内側と外側の交叉する視線は、同じ像を結ばない。
 彼らと私(たち)、境界の内側と外側を隔てたものは、いったい、なんであったのか。
 なにであるのだろう。