仕事丸投げられ暦戦記

10年めの節目を前に、これまでをいろいろと振り返る機会があって、いままで目の前のことをこなすのに精一杯であらためて振り返ってみるに(とは言いつつ、今もいっぱいいっぱいなのだが)、よくやってきたなぁと思うことが多くある。

とりわけ、外国勢との付き合いは、多くの人に語学的な支援をしてもらいながらだけれど、徐々にハードルが上がって行き、忍者が成長する麻を飛び越えて跳躍力を鍛えるがごとくの鍛えられ方であった気がする。

最初は、通訳付きだったのが、だんだん通訳もなくなり、そのうちに外国人相手に自力で旅費を調達しろだの、ワークショップの英語の議論に参加しろだの、挙げ句の果てには、真夜中に到着した外国のホテルに自分の部屋が確保されていないという真っ青の事態まで経験することになった。私の生まれて初めての英語による電話は、深夜に主催の事務局に電話をかけて叩き起こし、自分の部屋の確認をしてもらうという忘れがたい思い出として記憶に刻まれることになった。(しかもホテルのロビーの冷房はかかりすぎで、震えながらゲストwi-fiを借りてPCのなかの事務局の人間の名前の入ったメールを引っ張り出し、受付にこの人もここに泊まっているはずだから、部屋に電話をつないでと依頼してようやく連絡がついたという。)

これ以外にも、ありえない次元での仕事のまる投げられ体験記は多々あるのだが、ほとんど誰にも話していない。(断片的に、私の「うぎゃー!」とか、「ひー!」とかいう絶叫を聞いている人は少なからずいるだろうが。あれは、ギャグとしてやっていたわけでも、また大袈裟にしていたわけでもなく、本当に絶叫せざるをえなかったのだ。) 秘密にしておきたかったからではなく、事態に対応しているときは、あまりのことに目の前のやっつけに必死で他の人に話す時間的・精神的余裕がなく、終わった後は、普通はありえない事情の全容をわかるように説明するのが大変であったからなのだが、いつか、仕事丸投げられ暦戦記を書いて残しておいてもいいんじゃないかと思ったりもする。

外国人との付き合いは異文化だし、こういうもんなんだろう、と思っていたけれど、先日、イギリス人はそんなことないよ、と言われ、いささか衝撃を受けているところである。もしかして、フランス人だけだったのだろうか、この有様は…。