スティーブ&ボニー (1)

 ロサンジェルスのごった返す空港から、2時間遅れの国内線に乗り換えると、中型機の狭い機内はアメリカ人とおぼしき体の大きな人ばかりで、誰も彼もがくだけた英語を話すものだから、そうでなくともおぼつかない英語力ではまったく聞き取れない。日本から乗ってきたアメリカン航空機内食はあんまりにまずくて一口食べたっきり口に入れる気にもならないものだったから、こんな時のためにと思って持ってきたカロリーメイト以外は十数時間以上、おなかに入れていない。国内線で出されたクッキーのような食べ物も、案の定、どうすればこんな味付けになるんだろうといった代物で、それがこの先の私の日程のすべてを予兆しているように思えて、もういっそ来なければよかった、なぜ安請け合いしてしまったんだろう、と後悔しながら、通路を挟んだ席に陣取る家族連れを見る。ヒスパニック系かアフリカ系の家族連れのうち、小学生くらいの男の子は、テレビゲームに夢中、赤ん坊を抱えた母親はちょっと疲れ気味で、イライラしているよう。日本と違うのは、子供が騒いでも、まわりがだれもピリピリしないこと。後ろの席の父親と一緒にいたもう一人の子が、前の席にいる兄弟にちょっかいをかけて少しばかり賑やかになっても、前の前の席に座っている初老の白人男性は読みかけた本から目を上げ、オヤオヤと少し眉を上げて、また何事もなかったかのようにそのまま黙って本を読みはじめる。日本のこの世代の男性なら、キリキリと眉をつり上げて文句を言い始めて、機内に気まずい雰囲気が漂うところだ。その様子を片目に、なるようにしかならないさ、とこの先の自分の命運を天に預けることにした。

それは、最初から、奇妙なはじまりだった。

アメリカの知り合いから、福島にいる外国人研究者が自分たちの開く会議で福島事故について発表をしたいと連絡があったのだけれど、この人はいったいどういう人で福島で何をしているのかと問い合わせがあったんだけど、知ってる? と言った内容のメールが、外国人の友人から舞い込んできた。件の尋ねられている人物は、何度か顔を合わせたことがある外国人研究者で、事故後の福島に来てなにか研究をしているようだけれど、とりたてて接点もなくなにをしているかを詳しくは知らない人だった。福島にいるのはまちがいないし、多分あなたたちも知っているあの人だよ、と返事をして、しばらくしたら、その会議の主催者だと言う人から友人に宛てた、せっかくの機会だし会議のなかに福島セッションを作るから、あなたたちにも来てもらって話をしてもらうのはどうだろう? とのメールのやり取りになぜか私のメールアドレスも加えられて送られてきた。いきさつも、会議の主催がどういう人たちなのかも知らないうちに、トントン拍子で話が進んでいるのを横目に眺めていると、いつの間にか友人が、福島の話をするならぜひRyoko ANDOも加えた方がいい、と勧めはじめた。来て話せと言うのなら断る理由はないけれど、私は研究者じゃないから、所属も予算もないし旅費は出せないのにどうするつもりなんだろう、といつもの調子でいると、やり取りに加わっていた別の友人が、こっそりと旅費の件は主催に交渉してみろ、と言ってくる。なんだかよくわからないけれど、友人がそう言うのなら、と思って、主催に正直にそう伝える。相手は、旅費の一部補助はできるけれど、予算に制約があるから、と渋っていたけれど、こちらは行きたいわけでもないので、私の話す内容はきっとあなたたちの会議に他にない視点を提供できるとと思うけれど、旅費次第だからね、と念を押して、そのままにしておいた。少しの間が空いた後に、旅費と参加費は主催が全額負担、滞在は、主催メンバーの一人が自宅に泊めてくれる、と、滞在先のメールアドレス入りでメールが届いた。間髪を入れずに、滞在予定先の本人からも、自分も妻もあなたの滞在を心から歓迎します、とのメールが届く。この時点で、最初の後悔をした。私は、アメリカに行ったことがない。人見知りをする方ではないけれど、ネイティブの英語と意思疎通できる自信はまったくない。なのに、ホテルならまだしも、まったく見も知りもしないアメリカ人の研究者の自宅にホームステイだなんて、うっかり乗せられて旅費の交渉なんてしなけりゃよかった。とは言っても、いまさら断るわけにもいかない。すぐに安請け合いして乗り気になる自分の軽はずみさを心底後悔しながら、お心遣いに心から感謝します。訪問をとても楽しみにしています。奥さまにもどうぞよろしくお伝えください、と返事をした。