スティーブ&ボニー(23) スティーブとボニーへ 愛を込めて [了]

到着翌日コロンビア川のドライブの時と同じ、砂漠と果樹園と畑がパッチワークされた景色を走り抜けて帰路についた。帰り道に、土埃の漂うなだらかな丘の合間に見えるプラントのような建物を、これもリアクター、これは確か商用リアクター、とスティーブが指差した。商用リアクターの他にあるのは、軍用リアクターということになるのだろうか。

家に着くと、先ほど会ったばかりの馬飼の息子さんが待っていた。やぁ、お帰り、という様子でにっこりこちらに笑顔を向ける。どうやら今夜は一緒に夕飯を食べるようだ。別れ際に「また後でね」と彼が言っていた理由がわかった。間をおかずに、若い女性ともうひとり若い男性がやってきた。2人とも、なんとなくボニーとスティーブに似ている。スティーブが、自分の子供たちで、みんなここから近くに住んでいるんだ、と紹介してくれた。私の滞在最後の夜のために子供達に声をかけて、一緒に夕食を取ることにしてくれたのだろう。そうそう、こんなこともあろうかと思ってお土産を多めに持ってきたんだった。浮世絵柄の手ぬぐいの残りは3枚。ちょうどよかった。私より年下だろうと思われる娘さんが、日本といえば、私たちこの人を知ってるの、とスマホの画面を示した。彼女のことは追っかけているの、「コンマリ」よ。アメリカで大人気なの。整理整頓の名人で、その整理術がアメリカで大ブームになっていると私が知ったのは、日本に帰ってしばらくしてだった。

昨夜のディナーと同じテーブルで、今夜は家族の食事だ。なごやかに話しながらも、緊張感が張り詰めていた昨夜とは違い、今夜はスティーブもボニーもすっかりくつろいでいるのがよくわかる。私もテーブルの下の蹴り合いを窺う必要もなく、テーブルの上での会話に耳をそばだてることができた。スティーブの子供のうち何人かは教員をしているようだ。クラスにいる移民の子供を地元の子達とどうなじませるか、教育環境がよくないことを話している。そして、教室でのスマホSNSが子供たちにもたらす影響について。SNSによって生徒たちのコミュニケーションが難しくなっていて、大人たちもどんなふうに使われているか把握できず対応が大変だ。教育現場でのSNSの問題は、日本と似たようなものらしい。兄妹の会話の中に、ときおりスティーブとボニーが口を挟む。家族みんなでこちらに気を配りながらも、構うわけでもなく、家族の会話が続いていた。仲の良い、いい家族だ。そう思っているところに、ところで、と娘さんがこちらに顔を向けて、話しかけてきた。あなたが福島でどんなことをしてきたのか聞いてもいいかしら? 少し遠慮がちに、でも、本当はずっとこれが聞きたかったの、と言うように、興味津々といった眼差しをこちらに向けている。すっかり家族の団欒のままで終わると思っていたので、咄嗟に尋ねられてどうしようかと思ったけれど、昨日のインタビューの時に答えた言葉を思い出しながら、説明する。おや、英語話せるんじゃない。そんな様子で、スティーブの子供達は、揃って、好奇心で目を輝かせながら食い入るように話を聞いている。ひと通り話し終えると、感心したとも満足したともどちらとも取れる笑顔を見せた。感想は特になかった。昨日のインタビューの時もそうだったけれど、日本で、あるいはそれ以外の国で、アメリカえ経験したように、言葉どおり「好奇心に目を輝かせ」て話を聞いてくれる人に出会ったことはなかった。これがアメリカのお国柄なのかもしれない。和気藹々 と夕食は終わって、兄妹たちはめいめいの家に帰って行った。彼らとふたたび会うことはきっとないのだろう。一期一会というのは、こういう時のための言葉かもしれないと思いながら、別れの握手をした。

翌朝の飛行機は、早朝の便だった。パスコ空港から日本への国際線のある空港への国内線と、国際線の接続がよくなく、どの空港発着を見ても朝5時代パスコ発の便しかなかったのだった。荷物は夜のうちにまとめ、まだ暗いなか起きて、キッチンでボニーが教えてくれたようにコーヒーマシーンでコーヒーを作って飲んでいると、スティーブが起きてきた。準備ができているなら出かけようか。いつものように素っ気なくそう言うと、車に荷物を積んでくれた。朝早いから、ボニーは起きてこないようだ。心の中で、ボニーにお別れを言った。来た時と同じ道を辿って空港へ向かう。早朝だと言うのに、交通量はそこそこある。アメリカのなかでも、経済活動が活発な地域だけある。ボニーと車に乗っていた時に、経済も順調だし、出生率も高いし、治安も良くて、とてもいいところだと説明されたことを思い出した。それなら、課題はなに?と尋ねたら、高等教育機関がないことだ、と答えが返って来たのだった。日本でいえば短大のような短期で実用的な知識を教えてくれる教育機関はあるけれど、大学のような高等教育機関がなく、そのために若い人は別の街に出なくてはならないとのことだった。ここが学校よ、とボニーが教えてくれた場所の脇を通りぬけながら、そのやり取りを思い出していた。スティーブとは、会話はあまりしないのが常だったけれど、空港へ向かう道すがらは、特に言葉少なだった。沈黙の車内から白みはじめた景色を眺めているうちに、空港に到着した。

小さな空港だから、カウンターでオンラインチケットを見せて荷物を預ける搭乗手続きは、あっけないほどあっという間に終わってしまった。ここにあるゲートを入って搭乗待ち合いに向かえば、スティーブとはお別れだ。ゲートの入り口前で、スティーブにお別れを言おうと向き合った。私が口を開くより先に、スティーブは、手を大きく広げて、私をギュッと抱きしめた。今度は躊躇いなく一気に強く腕に力を込め、そして、前と同じように不器用な、心のこもったハグだった。私は、このハグを一生忘れないでおこうと思った。こう言うときは、なんて言えばいいんだっけ。そう、Thank you for everything だ。慣用的な表現というのは、概して惰性や陳腐化がつきもので、表現としては平凡極まりないのだけれど、ごく稀に、その纏わりついた陳腐さを突き破って、その言葉が最初に発された時に持っていたに違いない輝きを発揮することがある。この時は、きっとそうだった。他のどれだけの言葉を費やしても、この時の私の感情は伝えきれなかっただろう。Thank you for everything.  最初に空港に私を迎えた時の、気もそぞろの握手を思い出した。これが1週間の短い、そして濃厚な時間で、私たちが築いた関係なんだね。ボニーにもよろしく伝えて。メールでまた連絡をとろう。きっとだよ。手を振って別れて、国内線へ向かった。そうして、往路の機内食で懲りた私は、日本に戻るまでは飲み物以外は口に入れないと固く心に決めて、飛行機に乗り込んだのだった。

日本へ戻ってから、ごくたまにスティーブとはメールをやり取りしている。メールでの彼は、会っていた時よりは言葉が多い気がするけれど、私の方が、なにを書いていいかわからなくて、やっぱりそっけないやり取りになってしまう。でも、本当は、伝えたいことがある気がする。

ティーブ&ボニー。
私が、あなたたちの住むところから日本に戻って来て、ずいぶん時間が経ちました。あれからも、あなたの国のニュースは毎日のように私たちの目にも入って来ています。SNSをとおして、しばしば悲鳴のような声も聞こえて来ます。それを見るたびに、私はあなたたちのことを思い出しています。心やさしいDemocratであるあなたは、今もきっと毎日のニュースに胸を痛めて、そして、それでも、あなたの戦いを続けているのではないか、そんな風に想像しています。
日本での暮らしは相変わらずです。とは言っても、どんな風に「相変わらず」なのかも、あなたにはお伝えしていませんね。ここでの暮らしをあなたにどんな風に伝えればいいのかわかりませんが、快適で行き届いているけれど、どこか息苦しさの拭えないこの国での暮らしを、あなたなら窮屈でたまらないと思うかもしれません。この国の湿度と狭苦しさに倦んだ時、なぜか無性にあなたが連れて行ってくれた、砂漠に囲まれたコロンビア川の川べりが懐かしくなります。砂埃に洗われ渇いた大地で、かさかさに乾き切った唇で、素足のまま歩くあなたの姿を思い浮かべ、そして、眼下に見渡せるBリアクターを思い浮かべます。灌漑によって作り上げられたウォルトさんの豊かな葡萄畑を、彼の庭から見える雄大な丘陵の景色を、それを眺めるウォルトさんの満足そうな笑顔を、青々とした芝庭を思い出します。
ティーブ&ボニー。
初めて友人になったアメリカ人があなた達であってよかった、と心から思っています。今日も、忌々しいほどの悪いニュースばかりが世界中から、あなたの国から駆け巡って来ます。けれど、親愛なる友人のあなた達の眼差しを通して、あなた達が愛するように、私もあなた達の国を愛せると思うから。
またいつか、あなた達と一緒に砂漠のドライブに出かける日が来ることを夢見ています。

親愛なるスティーブ&ボニーへ
心からの愛を込めて

Ryoko

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