未だ到来していないもの

南相馬市小高町に「フルハウス」という本屋がある。作家の柳美里さんが震災後に移住してきて開いた本屋で、建物の裏手には倉庫を改造した劇場もある。一昨日はそこで行われた、やはり柳さんが主宰する青春五月党の演劇公演を見てきた。

公演終了後、立ち寄ったフルハウスレベッカ・ソルニットの『迷うことについて』というエッセイ集を見つけた。帰宅してパラパラと広げていると、最初のあたりにこんな記述がある。

あらゆる芸術家にとっては未知のもの、すなわちアイデアであれ、フォルムであれ、物語であれ、未だ到来していないものこそが探求の対象となる。扉を開いて、預言者を、つまり未知なるもの、見知らぬものを招来するのが芸術家の務めだ。…(略)…。科学者もまた。「いつでも〈不可思議の際〉に、未知との境に生きよ」とロバート・オッペンハイマーは語った。しかし科学者が未知を既知へ、漁師が網を引き上げるように変えてゆく一方、芸術家は私たちを暗い海へと引きずりこむ。
レベッカ・ソルニット著、東辻賢治郎訳『迷うことについて』左右社、2019年、10ページ)

なるほど、と合点がいったのは、ここ最近起きたひとつのアート作品を巡る「炎上」について感じていた不可解さの理由がわかった気がしたからだった。
Chim↑Pom という現代アート集団が福島の原発事故直後の映像を作品化した「気合い100連発」という映像作品がある。私も今回の「炎上」によって初めて知ったのだが、撮影の時期は2011年の5月頃、福島県相馬市の津波被災地であるそうだ。福島県の太平洋岸も津波によって被災しているが、原発事故の影響によって外部からの支援が立ち入らない状況が続いていた頃だ。そして、報道も立ち入ることを忌避していたため、支援がほとんど入っていなかったという事実そのものが伝えられていない。

上の原因は、この映像作品のなかに「放射能サイコー」という言葉が入っているから、ということのようだった。その言葉を発しているのは、映像に出ている地元の青年たちだ。映像を通してみてみれば、その「サイコー」が本当に最高と思っているのではなく、上記のような状況の中での、ヤケクソとも自分を鼓舞するとも言える、若者らしい、アイロニカルな言葉であることは明らかだ。あらっぽい、そして、つたないその表現は悲しみを帯びているようにさえ聞こえ(実際そうであったろうと思う)、言語化しがたいあの頃の彼らの状況を実にうまく伝えられていると私は感じた。この声は、このような形でなければ伝えることはできなかったし、残ることもなかっただろう。

当時の福島県沿岸の孤立した状況を、私自身、震災後に何度か知らない人に説明しようとしたことがある。だが、なぜか不思議なほどに理解することを「拒絶された」という印象を持っている。そんなことはなかったはずだ、勘違いではないか、と反駁されることもあるし、あの頃はどこも物資の流通が止まっていた、と他の地域と同化させて話の焦点をずらされることもあるし(他の地域とは明らかに違って、外の人は入ってくることを「拒否」していたし、実際に人気は薄かった)、なにか不思議な話を聞いたかのような表情をした後にまるで話そのものがなかったかのように別の話題に移ることもあった。

こうした経験を何回かして、この出来事、つまり津波被災地でありながら放置された地域があったという事実は 、当該地域居住者以外の多くの人にとっては、なかったことにしたい、不都合な現実なのだろう、と思うようになった。そうした不都合な現実を突きつけられた時に、人間は理解そのものを拒絶し、まるでなかったかのように振る舞うものなのかもしれない。

この映像作品の炎上については、言葉の上では「福島の人を傷つけるものだ」「風評被害を拡大させる」などと言われたが、まったくそのようには思えず、なぜここまで問題視されたのか不可解なまま残っていた。たとえば、twitter上で福島の人を傷つけるのか、という言葉に対して、自分が福島県内在住者であり、まったく気にならないが、と伝えると、あなたの感覚がおかしい、と関西地方の人に説教をされるという笑い話のようなこともあった。既に事故から8年半が経過している。大なり小なり被災者も被災地も落ち着きを取り戻し、当時のような混乱はとうの昔に過ぎ去っている。もちろん癒えぬ傷を抱えた人はいるだろうが、それでも、それぞれがそれぞれの時間を過ごしている。そうした現実の状況に対して、この作品に対して巻き起こった否定的反応はあまりに感情的であるように見え、言葉の上で言われている、この作品が「被災者を傷つける」といったものとはまた別の次元の反応であるように直観的に感じていた。

そして、ソルニットのその言葉を読んで、実際のところ、今回の炎上は、少なからぬ人たちにとって見たくもない「見知らぬ」現実を突きつけられたことに対する拒否が背景なのだろう、と合点した。それは、私が個人的にこれまで震災当時の福島県沿岸部の孤立状況を伝えようとしたときに示された、奇妙な拒絶反応とひどく似通っている。東日本大震災後、人びとは助けあったはずだし、また被災地外に住む人たちは被災地を支援し思いやり、復興を助けた、そういう現実でなくてはならなかった。それは確かに一面では事実である。他方で、そうでない現実もあった。それは人びとが手と手を携えて復興へ向かったという一面だけの現実にし� ��い人たちにとっては、非常に居心地の悪い不都合な現実だったのだろう。

そして、もうひとつ言えば、現在の日本社会全般に「未知のもの」「未だ到来せぬもの」を突きつけられることを拒否する傾向が強いのかもしれない。ソルニットがいうところの未知の「暗い海へと引きずり」こまれることに対して恐怖心が溢れているように見える。あらゆるものを既知のものにしておかなければ気が済まない、この世に未知のものなど存在しないのだ、そうした雰囲気は昨今の日本社会を特徴付ける風潮のひとつとなっている。そう考えれば、震災以降「アート」と呼ばれる表現領域が、しばしば炎上を繰り返す理由もここにあるのかもしれない。未だ到来せぬものと共に生きることは、通常は忍耐を必要とするし、しばしば耐えがたい不愉快さ、不安定さをもたらす。余裕を失っている社会は、その忍耐力を持たない。そして、原発事故後「科学」が好まれ、科学者が信奉されたのは、未知を既知に変えていくという科学のメカニズムによるところであったのだろう。