自主避難者と呼ばれる人のこと

「福島のエートス」と呼ばれる活動がはじまったのは2011年の11月だったと記憶している。まだ具体的になにをすると決まっていたわけではなかったが、この活動は、もともと被災地域の残って暮らす住民を助けることを目指していた。だから、この活動をはじめると決めたときに、同時に「福島県から避難した人を批判しない」と決めた。それ以降、私はただの一度たりとも避難者を批判する言葉は、口にしてはいないと思う。自主避難した人を擁護するために書いた言葉足らずのtweetを悪意をもって切り取られ、自主避難者を批判するものだと炎上したことはあったけれど、その意図はなく明らかな誤解である、とはっきり断言できるのは、私自身が自主避難者を批判しない、と最初に決めていたからだ。その理由は、被災地域に残って暮らす支援活動をする人間が、避難した人を批判するのでは、あまりに救いがないと思ったからだ。そんなことをしてしまえば、残留者と避難者の対立は決定的なものになる。残留者を支援するからこそ、異なる選択をした人を批判しない。当初から放射能をめぐる対立状況からの和解をめざしていた私は、これを自分の行動倫理のひとつとした。その後の自主避難者にまつわる言論状況は、私から見ると残念至極としかいいようがないものとなったのだが、いまも自分のこの行動倫理は守っているし、この先も変えることはないだろう。

そんなことをあらためて思い出したのは、先日のダイアログで紹介された自主避難から帰還した母親たちの体験記を読んだからだった。http://date-satoyama.com/?p=2697 このなかの記述に、サークルでひらいた勉強会で専門家に「子供を守ろうと選択したあなたたちの行動はすばらしい」と言われ、スタッフみんなで涙を流した、と書かれていた。いままで批判されるばかりのなかで、はじめて自分たちの行動をほめられて、苦労を認めてもらえた、と。その後、納得いくまで話につきあってくれた専門家の姿勢もあり、やがて「問題は放射能だけなのではない。自分は、放射能の健康影響のことばかり気にしすぎていたのではないか」と気づいた、と書かれていた。

自主避難の体験者の話を聞くと、例外なく、避難中に精神的に追い詰められている。家族円満であった人は相当に恵まれていて、少なからぬ人たちが深刻な家族間不和を経験している。避難先にいて交流相手も少ない。(体験談を聞けば精神的不調が多い理由は容易に理解できる。)それでいて、若い世代が多いからだろう、事故当初から県内残留者よりSNS利用者の比率も高い印象がある。つまり、多くの人がSNSに荒れ狂った自分たちに向けられた心ない言葉を見ている。(このことも精神的不調が多い理由に拍車をかけた可能性があると感じている。) 孤立した状態で、精神的にも追い込まれ、まわりに頼りになる人も少ない状態で、SNSに流れる冷たい言葉の数々は、どれだけ彼女たちを追い込んだのだろうか、と胸が痛む。

この問題は、もはや党派性以外の文脈で語ることが困難になっている状況が、不幸に和をかけている。いずれの側の声高の論者も、政治的文脈に回収される言葉でしか問題を語ろうとしない。「よくがんばったね。子供を守ろうと行った選択は正しかったよ。」 党派性も政治性も抜きに、こう声をかけられる現実は私たちにはありえなかったのだろうか。