2019秋旅日記 〜主目的編

シャルル・ド・ゴール空港に飛行機が降り立った。天気は悪くない。雨の予報だったからよかった。隣のシートに座っていたパステルピンクのニットのワンピースを着た若い女性が窓の外を見ながら、胸の高鳴りを抑えきれない、といった様子のかすかにうわずった声で「ついにフランスに来ちゃったね」と、友人なのだろうか同じ年頃の隣の女性に話しかけている。彼女たちは長いフライトの間、ほとんど会話らしい会話をしていないことに気づき、少し不思議に思いながら、そういえば機内後方にあるトイレ前のスペースで彼女と一緒になった時、目を輝かせながら一面雲に覆われた窓の外の景色を眺めていたことを思い出した。自分が何回目かのフランスを訪問することになった経緯と比べ、憧れのフランスか、と微笑ましく、学生時代に1度だけパリを訪れたときの自分もこうだったのかもしれない、と思い返した。震災後の海外訪問の時も、高揚も楽しみもあったけれど、自分は数年で「これ」を終えるのだと根拠のない決意が先に立ち、それよりも義務感が強かった。今にして思えば、なぜそんな義務感を自分が感じる必要があったのかおかしいくらいでさえある。結局、数年ではなにも終わらず、きっと10年を迎えるときも自分は「これ」を続けているのだろう。

今回の訪問は、EUのフレームワークで行われている長期被ばく状況における放射線防護のあり方を考える研究プロジェクトのイベントに参加するためだ。
EUフレームワークの研究プロジェクトは、純粋な学術的なものもあるのかもしれないが、放射線防護で私が呼ばれるような集まりは、放射線/原子力関係の分野をまたいだ参加者、それも研究者だけでなく、実務に携わっている行政寄りの人間や、一般市民も参加者としてまねかれることもあり、学術が中心となる日本の集まりとは大きな違いを感じる。そもそも、参加する「研究者」も放射線防護関係にくる研究者は、実務的傾向が強く、行政の施策者との距離も近い人が多い気がする。
当初は通訳を用意してくれていたのだが、徐々に難易度があがって、今回も通訳なし。一緒に参加する友人の日本人の助力に期待するが、頼みもしないのに実地で鍛えられていっている感を強める今日この頃なり。

どの国においても、放射能に対するリスク感覚の一般住民と専門家の乖離は大きく、そこをどのように調整していくことが可能かが現在の最大の問題になっている。EUの方向性としては、意志決定にいかに住民を巻き込んでいくか、その具体的なアプローチを模索しているといったところだろうか。私が呼ばれるのは、福島第一原発事故以降、実地で積み上げてきた自分の経験を具体例として話すことができるためで、方向性は打ち出していても現実経験に欠けるヨーロッパでの参考になるということだろう。

なんにせよ、日本での行政と学術との乖離は、行政は行政で独特の組織文化で硬直しており、学術は学術でアカデミア的内輪視点しか打ち出せず、いかんともしがたいように見受けられ、これはやがて改善されることがあるのだろうかと、双方を眺めながら暗澹たる気分になる。