未来の人びとへのICRP Publication146

ICRP Publication 146 発刊によせて  ICRP(国際放射線防護委員会)から、Publication146が発刊されました。 ICRP Publica ethos-fukushima.blogspot.com

国際放射線防護委員会(ICRP)という放射線の専門家による国際NGO組織が刊行する出版物Publication があり、各国の放射線防護政策を決める際の指針となっている。そのことは長くなるし、著書『海を撃つ』にも書いたので繰り返さない。

そのPublicationが更新された。福島で起きた原発事故の後の経験を踏まえた上で、さらに詳しく書き込んだ改訂であると言える。そういう意味で、新味はない。一部の批判的な人たちは、被ばく基準を緩めるようなものであると主張したいようだが、前回の勧告から数値基準としては変わっていないとICRP側も説明しているとおりで、その批判には無理がある。そして、数値基準が変わっていないとなると、そこに書かれた内容については見向きもされなくなるのが世の常だ。

100mSv以下の線量域に関しては、数値について議論したとしても、(専門家の中での学術的議論は別として)さほど意味のある議論にはならない。科学的な意味よりも、社会的な意味の方がはるかに大きくなるからだ。だが、その社会的な内実については、放射線リスクについてどのような考え方の人であったとしても、ほとんど見ようとはしない。この問題は、原子力災害に固有とも言えるし、また他のあらゆる基準や災害と共通するとも言える。誰しも、自分にとって見やすい見方でしか現実を認識しないものであるし、そこから逃れられる人はいない。その枠を認識した上で、見えないものを見ようとする人は、極めて少ない。100人に一人いれば良しとするところだろう。

原子力災害後の特殊な社会状況について関心を持つ人の少なさを考えれば、このPublicationもまた、先行したPublication111がそうであったように、忘れられたPublication となるのだろう。そこに確かに存在し、文章としては読めるのに、ほとんどの人にとっては何が書かれているのか理解できない、そうした類の文書だ。

だが、ふたたび原子力災害が起きたときに、突如として人びとはこの文書の存在を思い出し、そこに書かれていることを読み解こうとするだろう。この文書は、過去の出来事からの教訓であると同時に、未来への予言でもある。

上記リンク先の ETHOS IN FUKUSHIMA には、最後に、未来の原子力被災地へのメッセージを載せた。同時代的には、書かなくていい、余計な一言だ。同時代に向けて発信するならば、適切なのは、「ふたたび原子力災害が起こらないことを願う」というメッセージだろう。三、四年前ならそう書いたかもしれない。だが、それを書く気にはなれなかった。なぜなら、ここ数年は、次の原子力災害は100パーセント確実に起こる、と思うようになっているからだ。

それが日本国内とは限らない。欧米の潮流的には、原子力は逆風にさらされてはいるが、中国や中東では増えている。原子力発電は安全コストと廃棄物処理コストを無視しさえすれば、安定的で安価な発電技術であることには変わりないからだ。それが正しい、正しくないという議論は議論として、現実がそのようになってしまっている以上、その現実を前提として考えた時に、次の原子力災害もまた免れないものだろうと思っている。

福島の事故に関しては、千年に一度の災害であったから起きた事故、という意見もあるだろう。だが、そうだとしても、単純に原子力技術が発展した第二次世界大戦後が、たまたま災害的にも安定した時期であっただけかもしれない。福島県沿岸をあの規模の津波が襲うのは千年に一度だっただけであり、それ以外の場所でそれ以外の災害が襲う可能性は、確率論的に低いと言えるとも思えない。

Publication146をもっとも必要とするのは、この文章が生まれた文脈を共有しない、次の原子力災害に直面する未来の人びととなる。同時代の人びとが関心を払うことはない。余計なひと言を書いたのは、そういう理由だ。