ハラスメント構造とトラウマ

ジュディス・L・ハーマン『心的外傷と回復』(みすず書房)の冒頭部は、「歴史は心的外傷をくり返し忘れてきた」という章からはじまる。PTSDという病態は、ベトナム戦争の帰還兵の観察から見出されたという経緯がある。トラウマという概念も、それ以降になるので新しい概念と言える。では、それ以前はどうだったのか、という疑問も当然出てくる。(ここで、トラウマという概念そのものに対する反論もあるようだが、そこはまだ詳しく確認していないので省略する。) この章では、歴史的に「ヒステリー」と呼ばれてきた様態が、PTSDの症状と一致する、という指摘がなされる。つまり、PTSDという診断名がなかっただけで、昔から存在していたのではないかということになる。PTSDは「気持ちの持ちよう」という次元ではなく、脳生理学的な変化をともなうものであるから、人間の社会規範や道徳意識、人間観が歴史上、あるいは文化的に大きく異なるにしても、PTSDと同様の病態は昔から存在したと考えるのは、自然な推論であると思える。

驚いたのは、精神分析医として名を馳せる以前のフロイトが、ヒステリー患者の治療にあたり、そこで心的外傷を見出していたということである。つまり、患者の内因によってヒステリー症状を起こすのではなく、外からの心的外傷をもたらす出来事がヒステリー症状の原因となっている、という事実である。ただ、フロイトはすぐにその説を廃棄する。なぜならば、その原因となった出来事というのは、ほとんどが凄惨な性的虐待(小児時代を含めて)であったからだ。これを認めてしまうと、世の中にこれほどまで「幼小児に対する倒錯行為」が蔓延していることになり、しかも「目下繁栄中のウィーンのご立派なブルジョワ家庭においても蔓延していることになってしまう」。「この考え方は断然まちがっている。信じられるものではとうていない。」 そこで、患者の言葉の真実性は破棄される。

「私はついにこれらの誘惑のシーンは実際には全く起こっていないこと、私の患者たちがでっちあげたファンタジーにすぎないことを認めざるを得なくなった。」

ここで、フロイトは、彼の属する社会秩序に対して不利益になる患者の証言を否認することによって、社会秩序の安定を優先した。ただ、その後、性的虐待にともなうPTSD患者の存在を指摘した研究は、ベトナム帰還兵が社会問題化するまでは、学術世界でも無視され続けていたわけだから、社会的な評価を得るという面では、フロイトの判断は正解だったのだろう。

トラウマや性的虐待の被害の訴えは、その社会秩序を脅かすものとして、社会から存在を否認されてきた、だから、被害を訴えるということそのものが、常にそれを黙殺しようとする(暗黙の)社会規範との戦いにならざるを得ず、自然と政治性を孕んでいくことになる。その経緯が非常によくわかる文章だった。

心的外傷と回復【増補版】 | みすず書房 〈本書はつながりを取り戻すことに関する本である。すはわち、公的世界と私的世界とのつながりを取り戻す本である。レイプ後生存者 www.msz.co.jp

そして、ここのところネット上の炎上案件で、相談コーナーに寄せられたDV被害を受けた相談者を、回答者が嘘つき呼ばわりして罵声を浴びせる、というひどい事案を見て、ああ、まさにこれがこの構造なのだなとまざまざと感じている。

回答者は、自分の信じる社会規範を脅かした相談者が許せず、あのような罵声を浴びせ、かつ、最後には、お前の言うことなどこの社会秩序は真実とは決して認めないと言い放ったのだろう。回答者は、警察も裁判所もおまえの嘘など見破るぞ、と最後に相談者を脅迫したのだけれど、ここで社会秩序を法的に保つ警察や裁判所を持ち出したのは、実に象徴的なことに思える。回答者から見れば、相談者は社会秩序を乱す存在であり、ゆえに社会的に罰せられるべきだ、あるいは法的な庇護外に置かれるべきだとみなしたことが端的にあらわれている。そして、それを「そうだそうだ。嘘つき女は罰せられるべきだ」と一緒になって囃し立てた人たちの姿もあわせて、まるで戯画化したかのように、ハラスメント構造を描き出していた。これほどまでに見事にハラスメント構造を可視化した事例は、他にないのではないかとさえ思う。(最近は炎上案件はあまり見ないようにしているけれど、今回の件はたまたま目に入ってきてしまい、心が凍るような恐怖を覚えた。自分自身が受けた過去の同様な経験がフラッシュバックしている。)

その後に出た謝罪の文章も、相談者が切り裂かれた傷をこれ以上広げられたくないために、必死に回答者に気を使い、ことを荒立てないようにしている様子が見て取れて、心が痛い。そして、その必死の自己防御の言葉を回答者側がそのまま受け取って、自分(たち)は許されたと満足しているところも含めて、ハラスメント構造そのままだと感じている。相談者の傷は、大きく裂けたままで、そこから血が流れ出ているままであるだろうに。(相談者にとっては、もはや恐怖の対象でしかないはずの回答者とこの後に及んで直接やりとりをさせた編集サイドの姿勢も非常に疑問に感じる。あのとんでもない文章を公開した時点で、回答者は「回答者」ではなく、ハラスメントの「加害者」であるし、編集部もまた加害者と言えるのではないだろうか。)

「心的外傷のもっとも特出した特性は恐怖と孤立無援感とを起こさせるその力である」とハーマンの上述の本には書いてあるし、私自身も振り返ってみると、トラウマ症状でもっとも引きずってきついのは、誰も助けてくれない、わかってくれない、という孤立無縁感とそれがもたらす絶望感だ。相談された方が、ひとりだけではない、ということが伝わってくれることを願う。