2020/04/13 パンデミック雑感6 統治機構への信頼性(スウェーデンの場合)

なんの因果か、原発事故が起きてからずっと後処理のことを考えているのだけれど、そこでもっとも問題となることのひとつは、統治機構のありかただ。放射線量やそれの健康や生活への影響というのは、もちろんベースにあって重要ではあるのだけれど、対応そのものはそんなに難しくはない。被曝経路は決まっているし、ひとたび状況が把握できれば、取り得る選択肢は単純で、そんなに多くはないからだ。事態を複雑化するのは、放射線への対応そのものよりも、社会的な部分と統治機構に要因があることがほとんどだ。(日本の場合は、このことを認識しないで、いつまでも放射線と健康影響の話ばかりしているから、いつまで経っても問題がくすぶり続けることになったわけだ。)

原発事故後のノルウェーの対応は、私の著書のなかでも紹介したけれど、同じスカンディナビア半島の隣国スウェーデンの対応についても、過去(2014年)のダイアログセミナーで紹介してもらったことがある。ノルウェーの旅にも同行してもらった佐藤吉宗さんはスウェーデン在住で、この発表のなかではスウェーデン統治機構のシステムが紹介されている。

今回のパンデミックでもスウェーデンは他のヨーロッパ諸国が行っている都市の機能を封鎖するロックダウンを採用せず、一部の制限にとどめる独自路線を取っているが、こうしたことが可能となるのは、政府・行政への信頼が非常に高いことがあげられる。佐藤さんが作成してくれた以下の資料にそのことが記されている。

「信頼」というと、抽象的な概念の話のように思えるかもしれないが、実際はそうではない。日本人が好きな「きもち」の問題ではなく、行政の制度として確保されるようになっている。

以下、佐藤さんの発表スライドからの引用。

逆に、どういった行為が政治・行政に対する信頼を失墜させるのか?
・現実に合わない机上の空論の押し付け。
・行政の担当者と話をしても分かってもらえない。話が伝わらない。
・約束したことを守らない。言うことが二転三転する。
・政策の決定過程が不透明。誰がどうしてそれを決定したのかが明らかではない。
・説明責任が果たされない。責任者が出てこない。
スウェーデンノルウェーの行政ではこのような問題が起きにくい。

日本はこれらのすべてを見事に満たしていることがわかるだろう。そもそも信頼しろ、というほうが土台無理な話(いわゆる「無理ゲー」)なのである。

また、日本では専門家の知見を行政制度に反映させることが非常に難しく、そのことも事態を混乱させている。佐藤さんの発表で続けて説明されるのは、スウェーデンノルウェーの省庁制度である。スウェーデンノルウェー)では、行政機関は省と庁にわかれるが、日本での区分のようなヒエラルキー構造はなく、両者は対等である。日本の行政は、いわゆるゼネラリストと呼ばれる事務一般の「何でも屋さん」に偏重しており、専門的知見をもった職員は非常に少ない。スウェーデンノルウェー)では、ゼネラリストは「省」に、専門職は「庁」にと棲み分けがされており、予算獲得などの調整業務は「省」で行い、「庁」でそれを実施するとのことだ。この予算の使い方に「省」が(日本におけるように)うるさく口を挟んでくることはないのか、とノルウェーの「庁」の職員に尋ねたことがあるが、ひとたび予算が決まれば使い方は庁に全面的に委任され、必要な報告さえ出せば口を挟まれることは一切ない、とのことだった。庁の職員は、ほとんどがPh.Dをもっており、専門に通じると同時に、行政的な差配も熟知している。従って、専門に偏った非現実的な対応ではなく、行政側の事情も踏まえた施策をとることが可能となっている。

また、政府が国民に説明を行うことは「当然」というカルチャーがあるので、透明性は大前提となる。ノルウェー放射線防護庁から予算をもらって、ノルウェー視察をセッティングしたことがあるのだが、その際に言われたのは、支払われる項目と条件、その上限額だけ。ただし、終了後領収書はすべて提出すること。その領収書原本は、ノルウェー国民に情報公開される。とのことだった。

政府機関のありかたというのは、その国家の歴史的経緯の違いによるところが大きいので、そうそう簡単に変更できるものではないのだが、信頼は「きもち」ではなく、制度によって担保できるものであるし、また専門的な知見を政府施策に生かす方法もこうしたやり方があるという例として提示してみる。

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