スティーブ&ボニー (22) ゲニウス・ロキの生まれるところ

次の日の朝は、スティーブとボニーは私が疲れていると気を使って、声をかけないでいてくれたみたいで、遅めに目覚めた。結局、この日まで時差ボケはスッキリとは治らないままで、熟睡感はないままだった。丹羽先生やジャックは、早朝の飛行機で出立したはずだ。私は、スティーブに馬を見せてもらう約束になっていた。なぜ馬なのかはよくわからないけれど、知り合いが馬を買っているんだけれど、見たい?とスティーブが尋ねるので、見せてくれるならなんでも!と返事をしたのだった。

どこか他に行きたいところがある? と尋ねられたので、スーパーマーケットが見てみたい、と頼んでみた。スーパーの棚を眺めるとその国の暮らしの様子が何となく見えて来るようで、海外に行って時間があるときは出かけて眺めるようにしているのだ。それならボニーに連れて行ってもらうといい。ボニーと二人で車に乗って5分ほどの近所のスーパーに出かけた。平屋のスーパーは、日本の地方にあるスーパーマーケットと面積的には同じようなものだ。野菜コーナーには、みたことのない種類も多少はあるものの、最近は日本でも新しい種類の野菜がどんどん増えていることもあって、さほど大きな違いは感じない。あとは、飲料品など加工品のサイズが、日本と比べれば巨大で、箱買い標準で並べてあるのは大きな違いかもしれない。ケーキ売り場に行くと、日本ではまず見かけない、カラフルで派手なケーキが並べてある。だが、それ以外はと言うと、拍子抜けするくらい日本でも見かけるようなものしかおいていない。例えば、韓国であれば、調味料、フランスであれば、スープのもとやビスケット、チーズなど、日本ではお目にかからない面白い食材があって、お土産に買ったりもするのだけれど、アメリカの棚は、日本のスーパーでも類似品があるからわざわざ買う必要はないな、と言うものばかりなのだ。日本がアメリカの真似をしてきたせいなのかもしれないけれど、高度消費社会も行き着くところまで行くと、どこに行っても同じものばかり並ぶことになるのかもしれない。そういえば、日本の友人が、アメリカはお土産に買うものがないんだ、と言っていた。

スーパーを一回り見終えると、今度はスティーブも一緒にお出かけだ。まずはワイナリーに連れていってくれると言う。ロータリー交差点の出口を何回か間違えながら、倉庫を併設したこじんまりとした建物に到着した。入口前には藤だろうか、蔓性の植物でパーゴラ仕立てにしてあって、ハロウィンに向けてなのか、フードを被った骸骨のユーモラスな顔をした空気人形が置いてある。店の中は洒落た雰囲気で、試飲カウンターもある。試飲して、気に入ったのを選ぶといいよ。スティーブがカウンターの女性に尋ねてくれる。店内に貼ってあるワイン作りのプロセスの写真を見ながら、女性の説明を聞く。収穫した後のぶどうは、なんとトラクターの大きなシャベルでそのまま醸造用の大きなタンクに入れてしまっている。そこから機械で選別するようだ。ワイルドだ。そして、味付け。このワインは、甘みをつけるために梨を加えてあります。甘みが足りなければ加えればいい。なんて合理的な発想だ。テロワールだとか、熟度を見計らうとか、一粒一粒手摘みで選別して、とか言って作られているフランスワインを愛好しているフランス人のジャックがこの場にいたら、眼を向いて、卒倒してしまうかもしれない。何種類か試飲をしてみると、フランスのワインとは味は違うけれど、美味しくないと言うわけではない。まったく違う種類の飲み物だと思えば、これはこれで悪くない。試飲したうち気に入ったものを、一本はあなたに、一本はあなたの夫に、とスティーブが2本買ってくれた。

そこから、ふたたび車に乗って、15分ほどハイウェイを走らせる。いよいよ目的の馬だ。「馬を飼っている知り合い」と聞いていたけれど、どうやらそれは、スティーブとボニーの息子のことのようだ。馬を飼いたくて、少し街場から離れた田舎に暮らしているのだと言う。ただ、周囲の丘陵には、豪邸と思しき住宅地が広がっている。ここ最近大規模に開発されていっているもので、前は、ただの丘だったんだ。誰が住むの? 都会の金持ちのセカンドハウスが多いみたいだ。自分たちには手の出ない、とんでもない価格で売ってるよ。ここから飛行機で2時間ほどの沿岸シリコンバレーあたりのIT産業やベンチャー企業で成功した人たちが、田舎に寛ぐための別荘地として開発されたのかもしれない。トレーラーハウスのような建物と、馬小屋と思しき質素な建物がある空き地に車は止まった。下りて歩いていくと、木柵で囲ったちょっとした広場になった空間の中に、馬が一頭、それからスティーブによく似た若い男性が一人いる。民主党の集まりで一緒した息子さんだ。そこは馬の練習場になっているようで、馬が走って乗り越えるのだろう、木材を渡した低いバーも作ってある。スティーブの息子が、馬と一緒に走って、バーを乗り越えて走る様子を見せてくれた。厩舎に入ると、表にいたのとは違う馬が3頭いる。何等いるのかと尋ねると、全部で7頭も飼っていると言う。驚いて、何のためにそんなにたくさん飼っているの? レースに出るとか? と尋ねてみたけれど、ただ好きで飼っているだけなんだそうだ。スティーブの話だと、馬の世話があるので、彼ら一家は旅行に出かけることもできない。ただ、移動に数日もかかるずいぶん離れた場所だけれど、馬も一緒に泊まれる海岸沿いの大きな公園があって、休暇の時に、トラックに馬を乗せて家族でしばらく遊びに行ったりすることはあるみたい、ボニーが付け加える。そこでは、海岸を馬を駆けさせることもでき、馬仲間との交流もできるらしい。趣味として馬を七頭も飼 育しているのにも驚くけれど、その馬をトラックに乗せて旅行に出かけるというのもさらに驚きだ。犬を1匹連れて旅行するだけでも大変な日本では考えられないスケール感だ。

また後でね、と挨拶をしてスティーブの息子と別れて、最後に自分でぶどう畑を買って、ワイナリーをはじめたスティーブの友人の家に寄っていくことになった。最初の日に飲ませてくれたワインを作っている友人だ。乾いた丘陵とコントラストをなすように灌漑設備によって整然と区切られた畑とで、緑と茶色にパッチワークされた大地を車でずっと走り抜けて行く。途中で、舗装されていない細い側道に入ると、両脇は背の低い葡萄畑がずっと広がっている。今年はもう収穫が終わってしまったから、ほとんど残っていないけれど、自分も収穫を手伝いにきたんだ。やがて、ぶどう畑の突き当たりで一軒の家に到着した。車から下りると、玄関から男性が一人出てきた。やぁ、また会ったね。笑顔のその男性は、昨夜、ディナーをご一緒したウォルトさんだった。ワインを作っている友人というのは、ウォルトさんのことだったのか。大きな犬が玄関から一緒に走り出てきた。このぶどうは食べるように少しだけ残っているもの、食べてみる?とお皿に乗ったぶどうを差し出す。犬に吠えられながら、ぶどうを片手に、建物の脇の庭を案内してくれた。ぶどうの粒は小さいけれど、砂糖菓子のように甘い。青々とした芝庭に囲まれた平屋建の家は、ぶどう畑からわずかに低くなっていて、敷地全体がそのままなだらかに下がっていく。ぶどう畑そのものも、建物に向かってなだらかに下り斜面になっているようだ。

ここからの眺めが素晴らしいんだ。芝庭から眺めてみると、眼下には豊かな水をたたえた川がほとんど直線に流れている。川に沿って道路が走り、赤いトレーラーが走り抜けていく。対岸には鉄道も川に並走している。その向こうには、整備された農地が広がり、樹木に囲まれた建物が点在している。そして、農地の向こうには、茶色い地肌のままのなだらかな丘が広がる。農地の緑と丘の地肌の茶色のコントラストを、青い空とその空を映した流れが挟み込むように包んでいる。あの大きな丘の裏側には、今また広大な葡萄畑が整備されているんだ、とウォルトが説明してくれた。とんでもない広さで、自分の畑なんて比べ物にならない規模だよ。

雄大というのは、こういう景色を言うのだろうか。3人でしばらく眺めた後、ウォルトさんが、笑顔で尋ねる。ここの景色は、日本と比べてどうだい? 日本にはこんな景色はないから。とても広くて大きくて、スケールが違う。とても素晴らしい景色ですね。そう返すと、ウォルトさんは、この上なく満足そうな笑みを浮かべた。私は、砂漠のピクニックに向かう前にスティーブが言っていた言葉を思い出していた。緑豊かなニュージャージーで生まれ育った彼は、乾いたこの土地が最初は嫌でたまらなかったけれど、いまではここが世界で一番美しいと思う、彼はそう言っていた。ウォルトさんもきっとそう思っているに違いない。

福島で私が知る農家の人たちのことをふと思った。郷里を避難区域に指定された彼らは口を揃えて、自分はこの農家の何代目だ、先祖はいついつからここに住み着いていると説明した。この土地を次の世代に受け継ぐのは自分たちの使命だ、と。執着とも愛着とも呼べるような土地への想いは、街場育ちでよそから移り住んできた私には理解しきれないものがある、と思ってきた。土地とともに生き、土地とともに死んでいく、そんな生き方はもともとその場所で育った人間しか知り得ない価値なのだ、と。だが、いま、自分の土地を前に至福の表情を見せるウォルトさん、移り住んできて数十年にしかならないウォルトさんと彼らの間に違いはあるのだろうか。同じように土地を耕し、同じように土地を愛し、その地での暮らしを慈しむ。

ゲニウス・ロキ

ウォルトさんの満ち足りた表情を眺めていて、ふとその言葉が浮かんだ。
不思議なものだ。この土地は、もとは先住民の土地だった。まず、植民者である白人が彼らの土地を奪った。そして、第二次世界大戦が始まり、ハンフォードサイト の建設に伴って、その植民者も国家に土地を奪われた。原子炉操業の過程では、放射性物質が流出し、土地が汚染されたこともある。その場所で、ハンフォードサイト稼働の末裔であるウォルトさんが、畑を耕し、その土地を暮らしを心から慈しんでいる。ハンフォードサイトの建設に伴って立退きを迫られた白人の一部は、強く抵抗し、建設を妨害する実力行使さえ行ったという。土地を守るために、国家に挑んだ戦いを記したハンフォードサイトの記録文書は、彼らに対する敬意さえ感じさせるものだった。ウォルトさんはどうだろうか。この土地が脅かされそうになれば、守るための戦いを挑むだろうか。そうするかもしれない。福島で、奥歯を噛みしめるように土地の歴史を語った彼らの、事故後の静かな戦いと同じように。奪い、奪われ、そのために憎み、戦う、それでも土地を愛することをやめない。その人間の営みを、古代の人びとはゲニウス・ロキと呼んだのかもしれない。福島のゲニウス・ロキたちにこの土地を見せてあげたい。彼らはなんと言うだろうか。丘の向こうに傾く夕日に照らされた芝庭で、そんなことを思った。