■最後に看取るもの

 最後に看取る者であろう、と、決めたのは、それは、震災の何年前。
 時代の転換点において、あるいは、そのささやかな断章のひとつとしての私的な経路の終焉を、誰もが見向きもしないひそやかな営みを、同時代の者として、最後まで見届けようと決めたのは、いつのことだったろう。
 今となれば、それが意味するところを、自分自身が理解していたとは思いがたい。
 もし、理解していたならば、このような無謀な試みを思いつくはずもない。
 いささか浮世離れした望みは、一笑に付されるに十分な程には、たぶんに夢見がちで、胸の奥に秘しておくにこそ、ふさわしかった。
 そして、しかし、ことはそのようにすすんでゆく。
 このような現実であることを望んでいたわけではないにも関わらず。

 (だが、もしかすると、奥底のどこかで望んでいたのか。)
 
 私は、このような現実であることを望んでいたわけではないのだ。
 決して。

 (繰り返すのは、自分自身の為。)