■現在

 そうだ、これが、我々の時代だ。
 
 「我々」という主語を、これほどまでに意識して使うことがあったであろうか。
 逃れがたく、私という存在は、社会に結びつけられ、いや、あらかじめ、そのようなものとして存在せざるを得なかった、にも関わらず、そのことを自覚していなかったに過ぎない。
 私の、愚かさゆえに。
 それもまた、可視化された現在。
 
 何度となく、突発的に、脳裏をよぎる。

 そうだ、これが、我々の時代だ。

 抗いがたく、それを望もうと望むまいと、ただ受け容れざるを得ない、私の、あなたの、現在。