■海も地も山も

 あの交差点を曲がれば、緑の回廊を抜けて、いつものあの道が、のどかな田園風景が、今はバリケードに阻まれ、と、言葉を失ったのがひとつめ。
 奥歯を噛みしめながら直進した道路は、そのまま高架橋となり、海へ真っ直ぐと向かう。
 視界の端から端へ水平線が貫く。
 凪いだ海の細波に光が反射する景に、目を奪われ、そこに泣き顔のような男性の顔が重なったのがふたつめ。
 ただ、これだけの事で、数日、塞いでいた。


 ファミレスの座席で、理路整然と語る彼に、今後の見通しを尋ねたとき、彼はこたえた。
 「自然だけが取り柄だったのに、海も山もダメになっちゃったでしょ。
  これから先、何かいいとこあるって言ったって、なにひとつ、ないよね」

 やわらかな光を湛えた、ゆたかな海。
 彼は、海の側で育ったという。
 初夏に海草を拾い、夏の灼けた砂浜を歩き、時に沖から吹く荒い風に肌を晒し、潮騒は朝から晩まで鳴り響き。
 波音と、共に目覚め、眠る。潮風は、親しく、暮らしによく馴染んだ。

 その海が、この地が、あの山が、いま、目の前にある、このすべてが、汚染されている、と言う。
 それでも、爪に火をともすような、ささやかな努力を積み重ね、彼は、この地に留まる選択をした。

 「ぶっちゃけ、ここが元に戻る事って、ないと思うんだよね」

 と、県外からの来訪者が言葉にした時の、彼の目を、私は、忘れないだろう。
 深く昏く、絶望とも怒りともつかぬ、強い眼差し。
 
 その彼が、言う。
 「この先、どうなるかって、どうしようもないよね」

 私は、ただ、無言で、曖昧に頷く。
 本当は、伝えたい言葉があったけれど、呑み込む。
 それは、言葉では伝わらないものだと知っているから。

 (それでも、ここは、とても、いいところですよ。)
 (それでも、ここは、とても、美しいところですよ。)

 泣くような、そして、何かを噛みしめるような彼の表情を見ながら、私はただ、彼の話に、黙って頷く。
 肯定も否定もしないまま。