■(私的弔辞)

 不在宅の冷え切った床の間で、若い住職の読経は、ときおり、学生の応援団の喚声のように聞こえ、たちこめる焼香の煙と不釣り合いに、それでも、皆、粛然とした表情を崩しもせず、法要は続いた。
 訃報が届いた日、私は、海辺の町の小学校の教室にいた。
 しかし、さりとて、かなしみはなく、ただ、来るべきものが来た、少しばかり間が悪く、困ったことだ、と、頭を巡ったのは、それだけの事だった。
 生前、言葉を交わしたことが何度あっただろうか。
 血族、という以上の交わりはなく、先に亡くなった母は、死の間際まで、弟が過去にしでかした不始末をゆるさず、私は、母に倣った。
 底冷えのする墓地でひらかれた納骨室には、祖父母の骨壺が眠る。
 記憶の奥底を浚い、ようやく存在を思い起こせるような存在であった従弟が、慣れぬ手つきで、骨壺を奥に収める。
 従弟は、この墓地を訪れることさえ、初めてであったろう。
 誰もが、故人のことを語らず、私は、墓誌を、眺めていた。
 叔父と交わした数少ない会話を思い起こし、没後、明らかになった、おおよそ叔父には不似合いとも思えるほどきちんとした身始末を思った。
 仮にそれを私が知っていたとしても、彼と親しく言葉を交わすことはなかったであろうけれど、私は、初めて、安堵のような悲しみのような感情を抱いた。
 ただ流れていくだけと思われた歳月を、彼は、彼なりに、足掻き、苦闘し、過ごしてきたのだ、と。
 彼が過ごした歳月が贖われるためには、この、ただひとつの事実だけでよい。
 それだけで、充分だ。

 故人の魂の安からんことを。