■したいこと

 したいこと、という問いを投げかけられて、ああ、これは鬼門であったな、と気付いたときには、既に時遅く、エアポケットの中に嵌り込んだかのごとく、ただ、問いだけが渦巻いていた。

  したいことと、できることは、違う。
  今は、できること、をするべきだ。しなくてはならない。
  もし、私に何か出来ることがあるならば。
  それは、幸いなことであるのだから。

 そう思いながら、この数ヶ月間を、繋いできた。
 したいことについては、考えないようにしてきた。
 わたしのしたいことは、あまりに不毛であるから。

 したいこと。
 汚染地と呼ばれるようになったあの場所で、地に伏して、泣きたい。
 自分自身が、この現実に納得できるようになるまで、ただ、泣いていたい。
 少しばかりの美しい言葉を携えて。
 たとえば、ツェランの「迫奏(ストレッタ)」

  (略)

  それはわたし、わたし、
  わたしがあなたがたの間に横たわっていたのだ、わたしは
  ひらかれていた、わたしは誰の耳にも
  聞こえていた、指先でとんとんとあなたがたに触れた、あなたがたの息は、
  それに応えた、わたしは
  あのときのまま、あなたがたは
  眠っていますね。

  ★ 

                       いまもあのときのまま――

  歳月。
  歳月、歳月。一本の指が
  触れながら下る、上る、触れながら、
  さまよう――
  縫合箇所が、感じとられる、ここでは、
  再度ばっくりと口を開き、そこでは
  癒合している――塞いだのは、
  誰?

  ★

                      塞いだ
                         のは――誰?

  来た、来た。
  言葉が来た、来た。
  夜の間を縫って来た、
  輝こうとした、輝こうとした。

  (略)

  かたわれどき、石化した
  癩のかたわらに、
  逃げた僕らの手の
  かたわらに、
  最後の劫罰のさなかに、
  埋ずもれた壁の前の
  射垜の
  上方に――

  見える、新た
  に――あの
  線条(すじ)たちが、あの

  合唱が、あの時の、あの
  頌栄が。讃メ、讃メ―
  タタエヨ。

  それでは
  いまも神殿は立っているのだ。
  星に
  いまも光は宿るのだろう。
  何ひとつ、
  何ひとつ、失われていない。

  讃メ―
  タタエヨ。
  かたわれどき、ここに、
  日の灰色に、地下水の痕跡たちがかわす
  さざめき。

 ( 「迫奏(ストレッタ)」より抜粋
   飯吉光夫編・訳『パウル・ツェラン詩集』 小沢書店 )


 
 私は、土台、無用者の人間である。