8月16日。 高原、夏。
8月16日。
高原、夏。
主(あるじ)不在の田畑。
常ならぬ姿。
常は、よく手入れされ、人の動く、その田畑に、草が生う。
裾野広い稜線は、空をなだらかに映し込み、ひかりを野にたくわえる。
今日で盆が終わる。
墓地の花生けに水はなく、乾きかけた花が色を揺らしている。
墓石の手前、土盛りがあるのは、土葬場所。
比較的最近まで、土葬が行われていたという。
気をつけていても、うっかりと踏んでしまう。
山火事を警戒して、火を付けぬ線香を散らしてゆく。
前回、叔父宅を訪れた時の夫と叔父の会話を、記憶から引っ張り出して反芻する。
20km圏内の、津波の被災地の片付けに行った
あの線量計、胸に付けて
ここよりも数字が低いのに、防護服着てマスクして、鬱陶しくてたまんね
日当は、3000円上乗せされるだけだ
もっと数字が高い危険なところにいくと、一万円上乗せされるって
遺体も十数体見つけた
見つける前からわかる
匂いがする
きれいなままなのは、数人だけだった
オレは平気だ
そういうの気にしねぇ、気になんねぇから
叔父の声を後ろに、開け放したままの玄関から外に出た。
曲がった辻の向こうには、真っ赤なタチアオイが垂直に花をつけていた。
いま、季節は少し進み、オミナエシは黄色。
草は繁茂する。
緑があたりを覆い尽くす。
瓦礫に埋もれたあの場所も。
人のいなくなったあの場所も。
何もかにも緑で覆ってしまう。
人の気配を掻き消して、
災厄の気配も掻き消そうとするかのように。
だから、飽きもせず、
人は、まいねんまいねん、草を刈る。
記憶を留めるため。
そこで暮らしていくために。