スティーブ&ボニー (2)

わがホストファミリー、スティーブからは、すぐに家族がクリスマスに集まった時の写真が送られてきた。原子力技術者だ、と自己紹介してある。やれやれ、困ったことになった。アメリカでは福島の原発事故に対する関心は非常に薄い、という話は、以前、他のアメリカの研究者から聞いていた。ましてや、原子力技術者となると、関心の薄さはなおさらだろう。一般的に、原子力技術者は原子力の技術面や測定数値に対する関心は強いものの、それが一般住民に与える影響やましてや社会的な影響に関しての関心は低い。「パニックを起こす住民のリテラシーが低いのだ。なによりそれを煽る活動家とメディアが悪い。」と片付けられることもよくあるし、悪くすれば、なぜそんなに一般人は理解できないのか、と延々とグチ混じりのお説教されることさえある。遠く離れたアメリカで、日本国内の混乱状況だってわかってはいないだろうし、原発事故後、彼らにしてみれば物の数にも入らない放射線量の測定を続けている自分たちの活動を理解してもらえる気はまったくしなかった。不安に思いつつも、行ってから気まずい思いをするよりは、あらかじめ知らせておいた方がマシだろうと思い、お正月に家族で撮影した写真と、以前、自分が英語で発表した時の発表資料を返送した。

その後、送られてきた主催からのメールを読んでいると、この会議は、アメリカのワシントン州にあるリッチランドという町で行われるらしいことがわかった。当初、ワシントンと書いてあるのを見て、ワシントンD.C.とばかり思っていたが、東海岸に面した首都ワシントンとは正反対の西海岸側の北部、カナダとの国境に近い場所だった。どうやら国立公園もあり、自然豊かな場所であるらしい。そして、その近隣には、「ハンフォード・サイト」がある。

ハンフォード・サイトは、第二次世界大戦中、アメリカが原子力爆弾を開発するために立ち上げたマンハッタン計画の一環として作られた核開発のための研究施設だ。当時、その場所は軍事機密であって、関係者以外の立ち入りは許されず、国家の厳重な管理下に置かれた。そこには、世界初の原子炉が作られ、長崎に落とされた原子爆弾ファットマンのプルトニウムが抽出されたのは、ここの原子炉だ。この会議はアメリカの原子力学会の東ワシントン支部が主催で、原子力学会と保健物理学会の共催であると名目的にはなっていたが、代表責任者はかつてアメリ原子力学会長を務めた人物で、私が旅費の交渉をした相手は彼だった。つまりは、本場アメリカの本物の原子力ムラ主催の会議であるらしいことが明らかになった。これはまた困ったことになった。

世間一般的に、「原子力ムラ」とひとくくりに言われる原子力分野と保健物理(放射線防護)分野ではあるが、実態は、大きく違う。国家的管理のもと原子力技術の開発・維持を進める原子力と、もともとは医療の放射線利用と管理をルーツとする保健物理とでは、関心傾向も違えば、放射線に対する感覚も異なる。ただ、莫大な予算を抱える原子力分野の方が従事者も多く、また原子力開発にかかわる分野を主とする保健物理分野の専門家も少なからずいるため、両者がはっきりと分かれるわけではないが、私の印象では、医療関係者や生物学者が多く含まれる保健物理の方がマイルドな傾向があり、原子力分野は「ザ・国家」といわんばかりの空気を漂わせている人が少なからずいる。ましてや、核兵器開発を牽引してきた超核大国アメリカ、その国の「ザ・国家」な人たちに、原子力事故後の、彼らにしてみれば瑣末な放射線量の測定を住民主体でしてきました、なんて話が理解されるとは、到底思えなかった。

案の定、主催から送られてくるプログラム内容についてのやり取りでは、福島事故の被害について話すなら、LNTモデルがどれだけ人々に有害なのかを徹底的に議論してやろうじゃないか、といった威勢のいい文章まで送られてきた。LNTというのは、Linier Non-Threshhold 仮説の略称で、日本語では「しきい値なし直線」仮説と呼ばれる、放射線防護に用いられるひとつの仮説だ。放射線の悪影響から人を守るためには、どの線量が人体にどれくらいのリスクがあるのかを把握することが欠かせない。その研究が飛躍的に進んだのは、第二次世界大戦中に広島・長崎に落とされた原爆による被爆者健康追跡調査によってだ。そこでは、100ミリシーベルト以上の被曝量では、0.5パーセントほどの発ガン率の増加が見られ(200ミリシーベルト以上では白血病の増加等)、100ミリシーベルト以上では斜め45度の直線に沿って右上がりの発がんリスクの増加が認められている。一方、100ミリシーベルトよりも下の被曝量の影響については、確定的なことはわかっていない。さまざまな研究が数多あるものの、より大きな影響があるというもの、より少ない影響があるというもの、諸説入り乱れており、はっきりとした結論を出すことができていないのだ。これは、根本的には、100ミリシーベルト以下になると、他のリスク条件と被曝の影響との区別をすることが難しい、ということが理由だ。人間は、どの人間も実験室では暮らしていない。様々な条件の違う暮らしをしている。放射線の影響が大きければ、そうした生活条件の違いを差し引いても放射線影響を見いだすことができるが、影響が小さくなればなるほど、放射線だけの影響を見いだすことが難しくなってしまうのだ。ただ、そうは言っても、放射線を利用するにあたっては、なんらかの管理のための指標は必要だ。だから、100ミリシーベルト以上に確認されている斜め45度の直線がそのままつながっていると仮にみなして、放射線から身を守るための目安としよう、というのが国際的な一応の「お約束」になっている。それが「LNT仮説」と呼ばれるものだ。

ところが、このLNT仮説には、両サイドからの批判がある。LNT仮説に従えば「どれだけ少なくとも、その被曝量に応じてリスクは存在する」ということになる。それはつまり、どれだけ少なくともリスクはある、という主張にもなるし、少なければ少ないほど安全である、との主張にもなる。また、放射線のリスクをより大きなものと考える人たちにしてみれば、放射線に「安全」など存在しないという根拠にもなるし、逆に放射線のリスクはあまり大きくないと考える人にしてみれば、あるかないかわからないリスクを過剰に高く評価しているということになる。今回の会議の主催の立場は後者だ。LNTなんて些少なリスクを過剰評価するモデルを使うから、一般の人がゼロリスクを求めて大騒ぎをはじめるのだ、けしからん、というわけだ。

このLNTモデルを放射線防護の目安として推奨しているのは、国際放射線防護委員会(ICRP)という放射線防護に関する指針を策定する国際的な専門家の団体である。今回の会議に私を推薦したのは、ICRPのメンバーだった。会議の主催である元アメリ原子力学会長が「LNTモデルがどれだけ人々に有害なのかを徹底的に議論してやろうじゃないか」というのは、要は、自分たちの会議で、ICRPの主張しているLNTモデルがどれだけ有害なのかを、当人たち在席の場で徹底的に槍玉にあげてやろうじゃないか、という目論見なのだろう。LNTモデルをめぐるこの論争は、1970年代以降ずっと続いてきているものであるし、特段珍しいものでもない。ほとんど日常茶飯の光景だと言える。だが、そんな会議の場に、私を引っ張り込むなんて、「なんちゅーことをするんじゃ、人が悪いにもほどがある、わたしゃ、ただの一般住民じゃ」とあきれ返るやら、腹がたつやらである。安請け合いなんてするもんじゃない。2度目の後悔だ。だが、一方で、アメリカの本場原子力ムラの人たちがどういう考えをしているのかを知るのはおもしろいかもしれない、との好奇心もそそられた。

そうこうしているうちに、わがホストファミリー、スティーブから、私の以前の発表資料を見てのメールの返信が届いた。彼は、混乱していた。というよりも、怒っているようでもあった。この資料の中には、どこにもグラフもデータも含まれていないじゃないか。グラフはなによりも大切なものだ。それなしで一体なにを話せるというのだ。君には、この資料が参考になるかもしれない。といった内容で、彼らの知り合いたちが立ち上げたという、原子力放射線について一般の理解を深めるための動画のリンクが添えられていた。案の定、思ったとおりの反応だ。私の問題意識は、たとえ測定をしたところで、ただそれだけでは住民と専門家との信頼は作れないし、そのためにはなにが必要かということで、私の発表資料にはそれが書いてあった。だが、原発事故のあとの日常生活といったものが想像もできないであろう彼にそれを理解するのは難しかったようだ。やっぱり安請け合いなんてするもんじゃない。3度目の後悔。私は、ホームステイ中の気まずい滞在を覚悟した。とは言っても、ホストファミリーと険悪な雰囲気のまま見知らぬ国で過ごすというのも、さすがに難儀である。もう少し、なんとかわかってもらえないだろうか、としばし思案して、別の、今度はグラフの含まれた過去の論文と、それから、事故のあと福島県内でずっと行ってきた専門家と地域住民が含まれる対話集会(ダイアログ)の内容を英語・日本語・フランス語でまとめたサイトのリンク( http://www.fukushima-dialogues.com)を送ってみることにした。そして、メールには、私が広島出身である、ということも添えて書いた。自分の身内に被爆者がいるわけではないけれど、広島で育った自分にしてみれば、原爆の開発拠点であったハンフォード・サイトを訪れることは、複雑な心境でもある、そう伝えてみることにした。