25年後の風

いま、テレビ出てたベ。

いつも電話がかかってくるのは、晩酌が進み、いい案配で気分がよくなった頃合いなのだろう。電話の鳴る時間で、発信者が誰なのかはわかる。もしもし、と言い終わるのも待たないで、電話口でそう言った。

ご覧くださったんですね。ありがとうございます。

昨日から気付いてたの。予告でアンドウリョウコさんって出てたから。オレ、たまたま昨日見てたんだけど、それで気付いて用意してたの。それで、いま見たところ。リョウコちゃん、途中で、ボロボロって涙こぼしてたべ。それで、あれ、オレのこと思い出したんじゃねぇかな、そう思って見てたの。

あはは、ご明察です。あの時、タナカさんが喋ってたこと思い出しちゃって。

そうだべ。オレ、そうでないかな、って思ってたの。いいんでねぇの。こんな風に涙流してくれる人もいんだな、って、オレ、少しうれしかったの。

電話口の言葉を聞きながら、あのインタビューの時に自分が泣いた理由を思い出していた。泣くのに理由はいらないのかもしれない。だが、なぜ自分が泣くのか、しつこく考えるのが私の性分だ。ただ、このときの理由は、考えるまでもなく、わかっていた。

一年ちょっと前、無理を言ってタナカさんに人前で喋ってもらった時のことだ。時間が終わりに近づき、最後に言いたいことを、と尋ねたとき、彼は、「忘れないでほしい」と言った。除染廃棄物の入ったフレコンバッグは、2年後にはすべて中間貯蔵施設に搬入し終える。皆さんの視界からそれは消える。そうすると、皆さんはきっと忘れてしまう。そのフレコンバッグがどこへ行ったのか、行った先でどうなるのか、忘れてしまう。でも、覚えていてほしい。フレコンバッグがどこへ行ったのか、フレコンバッグの行き場を作るために土地を提供した人間が、自分たちのような思いをしている人間がいるのだということを、覚えていてほしい。

まったくそのとおりだ、と思いながら、彼の言葉を聞いていた。私たちは、忘れる。フレコンバッグがあったことも、それがどこへ行ったのかも、その場所になにがあったのかも、最初にわずかに同情を示し、しかし、やがてそれも忘却してしまう。30年後に廃棄物を運び出すという政府の空手形も守られないだろう。言い訳にもならない言辞を政府は右に左に繰り返し、その軽薄さは怒りに油を注ぐことになる。約束を破られたと人びとはますます憤り、不信の淵に沈む。だが、そうは言っても、圧倒的な大多数の無関心と冷淡さのうちに、それは諍いにもならない。忘却と、嘆きと、言葉にならない憤りを覆い隠す空虚な無関心と、あの場所がこの先、佇み続けるのはきっとそんな世界だ。「忘れないでほしい」、彼の言葉は、私たちがこれから目撃するだろう惨めな未来図を克明に写しだしていた。
そのことを思って、泣いた。

バカにしてるんだな、ヤロメら。東京の、あの政治家のヤロメらよ。金目だなんだ、と言って、ほれ、前知事のインタビューがこの間、新聞に出てたべ。読んだかどうか知んねぇけど。中間貯蔵施設の受け入れの時に、環境大臣のあの、石原なんとかな。「受け入れないと、最後に困るのは福島県でしょう」とか言ったんだとな。そのあとも、東北でよかっただのなんだの。あいつら、オレらのこと、バカにしてるのよ。

それもまちがいない。「ヤロメら」は、札束を口のなかに咥えさせれば、誰でも黙るものだと、そう思っている。そうでなければ、次から次に、あんな無神経な言葉が出てくるはずがない。

だが、その咥えた札束を、肚のうちに、彼は呑み込む。

いや、だけど、恨んだりはしねぇよ。自分で提供したんだからな。恨んだりはしねぇけど。
でも、おもしゃぐはないですよね。
んだよ。だから、言いたいことは言わせてもらう。約束はしたんだから、守ってもらわねぇとな。まぁ、オレもじさまだから、いつまで生きてるかもわかんねぇけど、あなたは若いんだから。

約束の期限が来るのは、25年後だったか。その時の、私と彼の年齢を計算する。運がよければ、私は四半世紀先の惨めな世界を目撃することになるだろう。そうなるに違いないと予期したそのままの未来を見るほど、倦厭なことはない。

今度、一年ぶりに行ってくるの。もうすっかり変わっちまってるんだろうな。オレもしばらく見てないから、なんだかわかんねぇぞ。

家屋がすべて取り壊された敷地からは、阿武隈の平らな稜線がよく見えた。晴れ渡った空は青く、明るく、軽やかだ。上空を吹き抜ける風が、阿武隈の向こうの雪雲から「吹っかけ」を運んでくる。重機もダンプもプラントも消え去ったその場所で、25年後も同じ風が吹く。同じ空の下、同じ山並みを遠景に、すっかり変わり果てたその場所で、私はなにを思うのだろう。

どうなったか、また教えてください。

そう言って、電話を切った。