年寄りに恥をかかせる

年寄りに恥かかせっ気じゃあんめぇな、と笑って言いながらも、目が笑っていなかったから、万事うまく取りはからうから、と、帰宅してあわてて素材のスライドつくりに取りかかる。彼の家を訪ねたときの写真を眺める。幾枚も幾枚も幾枚も、角度を変え、場面を変え撮影された場所は、当時も抜け殻ではあったけれど、今は本当のがらんどうだ。彼が説明したときのことを思い出しながら写真を眺める。おれは喋るの得意じゃねえんだ、ただの農家のじっさまだど。それでも案内人を買って出たのは、なお伝えたいことがあるから。あなたはあんな立派な本も書いて、そういうすばらしい能力があるんだから、こういう人がいたってそう伝えてくれるといいなと思ってんの。いえいえ、そんなこと…と恐縮しながら、しかし、それはまた事実なのだと思う。言葉を持つ人間には、目撃したことを伝える義務がある。言葉で伝えることが可能なのは、それだけで充分に特権的な能力なのだ。望もうとも望むまいとも、伝えることはその能力に課せられたひとつの義務だ。

会場で、用意した写真を示しながら質問とも雑談ともつかない問いを投げかける。立派な答えなんて必要ない。ただ言いたいことを、言いたいことがあるのならば、伝えたいことがあるのならば、それがどれだけたどたどしくとも伝えられるように、どこかに、誰かに届くように。2年前の訪問のときに彼が用意していた娘さんの成人式のときに庭の池で撮ったという写真をスクリーンに映し出す。わざわざ用意して持ってきてくれていた彼の気持ちを想像し、なくしてはいけないと思って、スキャンしてパソコンに取り込んでおいた。予告なくそれをみた彼の目が輝いた。これ取っといてくれたのか。そこから少しばかり口調が滑らかになった。最後に言いたいことがある。二年経ったらここへの搬入は終わる。そうするとこの場所のことは話題にもならなくなる。みなさん忘れてしまう。だけど、みなさん、少しでも心の片隅にとめて、思い出してほしい。オレらみたいな人間がいたんだってことを。同じような人たちが何百人、何千人といるってことを。

そう彼は正しい。私たちはあのフレコンバッグが視界から消えた途端、すべてを忘れてしまう。まるで最初からなにもなかったかのように忘れてしまうだろう。代わりにあの場所はおびただしい除染廃棄物に満たされる。第一原発構内にためられた水も、着々と増え続けるタンク群も、いったん流出が止まった途端、みごとに皆忘れてしまっていたように、私たちは忘れてしまう。敷地が限界に近づき放出が喫緊の問題となって、あわてて思い出した、忘れてしまったことなど忘れてしまったかのように、さも大ごとのように、最初から大問題であったかのように大声で人びとは語り始める。本当は忘れてしまっていたのに。私たちは懲りもせず次も、その次も、そのまた次も同じことを繰り返すのだ。

言いたかったことの七割くらいは言えたかな。でも、もう二度と勘弁な。オレは人前で話すの、ほんとに得意じゃねぇんだ。でも、あなたの立場もわかるし、やりたいこともわかるし、一度約束したことを覆すのも嫌いだから、今回だけ。ほんとは、夜も寝られなかったんだど。

私は、どうやら年寄りに恥をかかせずに済んだようだ。