それを愛と呼ぶのならば、きっと

私とあなたの物語がすべて終わったあとに、そんなタイトルの小説を書いてみたいと思った。それは私からあなたへの恋文であると同時に、私とあなたの墓標となるだろう。どのような文章のなかでも、失われたものへ宛てた恋文は、なにより美しく、人の心を打つ。それがなぜなのかはわからない。私たちは、失われたもののうちにしか、まったき愛を見いだせないからなのかもしれない。だとすると、私たちの感性は、あらかじめなにかが欠落している。日本語の語源において、「悲(かな)し」と「愛(かな)し」は同語であった。欠けたこころが切ないまでになにかを求める情動を「愛」と呼ぶのなら、悲しみは愛しさに等しい。そして、弔文は恋文に等しい。それを愛と呼ぶのならば、きっと。