ただ与えられる言葉を信じよ、と

惑いのうちにある人びとから語られる言葉は、しばしば、この現実を明瞭に描き出す。それはあたかも天啓のように、進路を指し示す。彼らは惑いながらも、行く方を知っている。惑いのなかにあるからこそ、なにが混迷を生み出しているのかを知っている。ただそれをどのように整理すればわからなくて、少し困っているだけだ。黙って耳を傾ければいい。ときおり問いを投げかけ、返ってくる言葉に相づちを打ち、求められれば控えめに答えを返す。それを繰り返すうちに、おのずと行く方は指し示される。「あなたはこんな活動をされているけれど、そうすることできっと自分を救ってらっしゃるんですよ。自分で動かなきゃダメなんですよね、きっと、私も。」そこまで自分で言えるのなら、もう大丈夫。あとは時間が解決する。尋ねたいことがあるときはいつでも電話をください。私でよければお話くらいはできますから。きっと電話はかかってこない。いつでも話せる相手がいる、それだけであなたはきっと前に進んでいける。だから、いつでも困ったときには連絡を。あなたの示した行く方は、私の行く方でもある。今日、あなたから与えられた言葉を、私は信じる。天啓のように、ただ与えられる言葉を信じよ。