2020/04/16 パンデミック雑感7 リスク・コミュニケーションのこと

 本日付の毎日新聞に韓国の疾病管理本部の感染症対策における「リスク・コミュニケーション」部門の動きについて詳しく伝えられていた。

韓国の感染症対策に見るリスクコミュニケーション | オアシスのとんぼ | 澤田克己 | 毎日新聞「政治プレミア」 韓国の新型コロナウイルス対策は、2015年の中東呼吸器症候群(MERS)流行での失敗を教訓にしている。検査体制の充実や徹mainichi.jp

 韓国の対策は、2015年の中東呼吸器症候群(MERS)流行での失敗を教訓にして体制を構築したという。疫学的体制とリスク・コミュニケーション部門のふたつを柱としているという。

 常日頃、私がブツブツ言っているリスク・コミュニケーションのあり方の教科書通りの対応といったことが書かれている。

疾病管理本部の現在のマニュアルには、情報発信の5原則が記されている。それは▽シンプル=簡潔かつ明瞭でなければならない▽タイムリー=公衆は「いまどうなっているのか」を知りたがっている▽正確性=事実と異なる内容は混乱を引き起こす▽関連性=該当するイシューに関連する質問に正確に答える▽信頼性=正直かつ率直に情報を公開する――というものだ。

 もうひとつ特筆すべきは、行政機構としての体制作りについても触れられていることだ。リスク・コミュニケーションの話をすると、どうしてもコミュニケーションのノウハウだとしか思ってもらえず、ここの部分の重要性が理解されづらい。

危機発生前の平時にすべきことは、関係省庁や自治体、国際機関などとの連絡ルートの確立と事前調整、自治体ごとに行う感染症発生訓練の支援など。情報発信に関する自治体との役割分担は平時にしておかなければ無理だし、普段から連絡を取り合う関係を築いておかなければ機動的な対応も難しいからだ。

 社会的なクライシスの状況の時には、「情報」のみによってクライシスに陥るのではない。その時の危機的な状況によってまずクライシスが起き、そこで的確・適切な情報提供が行われないことによって、クライシスが拡大してゆく。その全体の状況のダメージコントロールをどう行なっていくかがリスク・コミュニケーションなのであり、情報を伝えるノウハウやテクニックといった問題にはとどまらない。むしろ、ノウハウやテクニックだけがうまくとも、状況のコントロールがそれに見合わなければ、かえってその情報は嘘くさく思われ、信頼を失うだけだ。(先日の安倍総理の演説がまさにそうであった。テクニックやノウハウを駆使して作り込まれたと思われる演説は、実際の状況コントロールがまったくともなわず、ただの口先であるという印象を強く与える結果となった。)

 混乱ぶりは、原発事故のときよりは若干マシであるとは思われるが、今回のコロナウィルスでは、真の危機が訪れるのはこれからになる。今回も、専門家チームと政府内の意思疎通はうまくいってないように見受けられる。事前の信頼関係も役割分担も所掌責任も明確になっていないところで、緊急時になって慌ててチームを急造しても、うまくいくほうが奇跡なのだ。そもそも、日本の統治機構は危機管理に対応できるような専門性もなければ、横の連携も縦の指揮系統もまるでできていないし、状況を的確に判断し、どの助言を採用すべきかの判断能力も持たない無能な政治家に采配をもたせているのである。準備というものがまったくないところで、うまくいくと考えるのは楽観的に過ぎる。

 韓国の疾病管理本部のあり方を見て、とても残念だったのは、これは原発事故の後の日本でもしかすると可能であったかもしれない未来に思えるからだ。原発事故の後の混乱を、何が原因であったのか、どうすれば次はよい対応ができるのか、真剣に考え、態勢を作ろうと思えば、日本の制度にあわせつつも、韓国の疾病管理本部に近い組織ができていたのではないかと思う。だが、残念ながら、日本ではこうしたものはなにひとつできなかった。なんともお粗末な「風評払拭」と「心の不安解消」事業だけが残され、それが惨めさを誘う。(もっとも韓国でも原子力放射能関係はまったくリスク・コミュニケーションがうまくいっておらず、これは韓国でも縦割りの問題と、原子力産業の閉鎖性と特殊性が影響しているのではないかと推測する。)

 原発事故のあと、放射線防護の国際的な会議にはたびたび呼ばれて、発表をさせてもらっている。私独力では無理なので、英語のできる友人・知人にいつも助けてもらってのおかげなのだが、それでも原発事故被災地現地からの活動報告というのは、注目度が非常に高く、この業界では私の存在は世界的にもそこそこ知られることになった。なぜ注目度が高いのかというと、理論を研究している人は少なからずいても、それを実践している人間は原発事故当事国か、その国で活動をした少数の外国人しかいないからだ。リスク・コミュニケーションの分野においては、日本は国際的にキャスティングボートを握りうるアドバンテージを十分にもっていた。ここで成果をあげれば、この分野では世界的に長く注目を集められたのではないかと思う。が、実際にはそうならなかった。私個人としては、できる限りのことはしてきたと思う。次に同じことが起きたとしても、これ以上のことができたとは思えない。そういう意味で悔いはないが、日本という国で考えると、ただ「情けない」という思いだけが募る。それを韓国の疾病管理本部の取り組みを知って、いっそう強く感じたのだった。