めでたさも中くらいなりおらが春。

めでたさに湧く常磐線開通の報をなんとなく居心地わるく眺めている。生活の利便という点から言えば、南相馬と水戸に親戚が住まっているわが家にとっての恩恵は大きく、素直に助かる。年寄りは、対面通行の高速道路の運転は心配を覚える年齢になっているし、買い物程度にしか自家用車を使わない都会の親戚は怖くて走れない言っていたから。放射線量に関しても、一時的に通過することで問題になるようなレベルではない。だが、めでたさ一辺倒では済まない問題が多く山積しており、それらは今後しばらくに渡って大きな課題の種として残り続けることを考えると、めでたさの足下にある暗がりとのコントラストに、つ、と目をそらしたくなってしまうのだった。震災と原発事故以降、いくつものこうした節目の祝祭が繰り返されてきた。もしかするとこれが一連の祝祭の最後の大きなそれになるのかもしれない。そのことを無意識に予感して、この気を逃すまいと、人びとは最後の祭りを余計に熱心に祝っている、と考えるのは、うがった見方なのかもしれない。

原発事故からの「復興」を祝うことは、ある時期からとても難しくなってしまった。ひとつには、2014年頃から顕著に、それが政府の実績アピールに用いられるようになったからだ。地元レベルでの積み重ねも、国や行政とは独立して進められたはずの事業も、わずかでも前向きになれば、それがたちまち、国の復興アピールに絡められてしまう。2016年頃から「風評払拭」に国が全面的に出始めてから、その傾向はいっそう強くなった。それは、避難区域の将来像がますます混沌として見えなくなることと見事に反比例していて、見えない将来への不安を振り払うかのように、あるいはそんな不安の存在そのものを打ち消そうとするがごとくに、遮二無二、復興アピールへと繋げられていった。無邪気な応援も含まれているから、それらをすべて悪く言いたくはない。アピールに用いられたとしても、確実に誰かの努力によって打ち立てられた実績もある。一方で、それらを利用したい思惑が働いているのも事実で、復興五輪が終わるまではそれは止まないのだろう。

もうひとつ、復興について言及するのが難しいのは、言うまでもなく党派性が入り込んでいるためだ。反原発の一部の言説のなかに、放射能汚染地域の立ち直りを認めたくないという信念を抱いている勢力がある。もはやきわめて少数ではあるのだが、彼らは言論的に一定の勢力を占めていることと、それゆえに実態以上に言説が目立つために、無視できない存在になっている。かたや、そうした言説に反発するがゆえに、頑なに復興言説しか認めなくなってしまった勢力も存在する。「反・反原発」とみられる言説勢力には、右派的な勢力もあるし、もともと左派的な信条を持っていた人が身内に対する憎悪でより頑なになっている場合もあるし、また、デマ憎しで凝り固まった人もあるし、事故以降累積したSNSでのやり取りが原因となっていることもあり、その構成は非常に複雑になっている。復興を祝う言説の裏側には、反原発への攻撃性が仕込まれていることも多くあり、それらに巻き込まれたくない、との忌避が働いてしまうのだ。なんにせよ、過激化した反原発言説にせよ、それと同調して同じように過激化した反・反原発言説にせよ、私の実感からはほど遠い。これに、SNSのもたらす同質性の強化、「仲間」とそれ以外を鋭く峻別し、仲間とみなした者が以外は攻撃的に排除するという傾向が加わり、なんとも居心地の悪さを覚えるのだった。

Twitterで流れてきた動画の常磐線開通を告げる柏駅のアナウンスが、「東日本大震災の影響で、長らく不通になっていた…」と述べるのを聞いて、奇妙に思ったのは、そこでは原発事故の存在が巧みに避けられているからだった。長らく不通になっていたのは、東日本大震災のせいではない。原発事故のせいだ。だが、おそらくそれを口にするのがはばかられる「空気」がある。現状を象徴的にあらわしているアナウンスだと思った。

めでたさも中くらいなりおらが春。この句を残した一茶には感謝をしなくてはならない。