マツモの酢の物

マツモという海藻がある。形状が松の葉に似ているから、その名がある。生の状態では褐色なのだが、お湯をさっとかけると鮮やかな緑色に変わり、なるほど松の緑によく似て見える。細く噛むと繊細な歯ごたえがある。少しばかりぬめりもあり、かすかな潮の香りがする。あまり日持ちしない。時間が経つとさわやかなぬめりがなくなり、臭みが出るのだという。だから、店頭ではあまり流通していないし、売っているものもあまり美味しくないのだと浜の人は言う。

マツモをはじめて食べたのは、末続に通うようになってからだった。昔は正月用に海に入ってとったともいうのだが、気温がいちばん冷え込むこの時期、やわらかい新芽がでているそうだ。月の明るい夜明け前の海に入ってとってくるのだという。震災の後は、地盤沈下して海が深くなって磯がなくなってしまったからとれなくなってしまったんだけれどね、と言いつつも、苦労してとってきた人が測定にもってきた。測ってみると、ほとんど検出されない。とるのも大変だから、海の物のお裾分けはあまりないのだけれど、この時ばかりは、ビニール袋にいっぱいのマツモを頂戴して、家で堪能した。

食べ方は、お醤油のお吸い物がひとつ。できあがったおつゆを最後によそうときに、お椀のなかに水洗いしたマツモをいれておく。その上に熱いおつゆをそそぐと、色がさっと緑色に変わり、磯の香りがひきたつ。もうひとつが酢の物。さっと熱湯を軽くかけて、三杯酢で、タコやキュウリと軽く和えて食べる。

昨日ちょうどマツモを持ってきてくれた人がいてね、ほら、また原発から水を流すとか言ってるでしょう? 海に流すか空に蒸発させるかしかないって。あれ流すとまた食べれなくなっちゃう、いやね。今もこっそり夜中に流してるんだって、その人は言うんだわ。一日何トンとか決めないでこっそりと。ううん、噂、噂。根拠なんてないんだけどね。ワカメとかももう大丈夫なのよね。流したって影響ないっていうけどほんとかしら。いままでもいろいろ嘘ついて隠してきたしね。どうしてそんな始末のできないものをいつまでも使い続けるのかしら。
(短い言葉のなかにいくつもの要素を読み取ることができる。これまでの情報の出し方のまずさ、誰も責任をとらない管理態勢、それらが与えた不信、見通しを示すことの信頼関係における重要性。)

まだ夜も明けやらぬ暗い海にわけいる。ゆらゆらと揺れるマツモを手でつまむ。風が冷たい。昨夜は満月だった。その海、海、静かに波立つ潮の気配を、私はただ想像する。潮の香り、波音。じきに、水平線の下から日が覗く。さざ波が立って、風がわずかに止んだ。手をとめ、顔を上げて見渡せば、視界のはるか向こうまで、その海、海。その海に。

車に乗って駐車場から出ようとエンジンをかけた時に、裏口から慌てて、小さなビニール袋に入れたマツモを持ってきてくれた。雑談の時にこの話が出たものだから、手ぶらで帰らせるのは悪いと思ったのかも知れない。今晩の食卓にはマツモの酢の物。なにものにも代えられない贅沢な一品。