ビル・ゲイツの原子炉

 Netflixビル・ゲイツを特集したドキュメンタリー番組のなかで、彼が出資するベンチャー企業テラ・パワーによる新型の原子炉開発計画について紹介されていた。米中貿易戦争の煽りで、中国での開発を予定していた計画は、現在のところ頓挫という状況のようだが、考えさせられるところがあった。技術的詳細については番組で紹介されていた以上に知るわけではない。ただ、国家とは関係のないところで、原子力が純粋、とまでは言わずとも、その基本的な開発において民生で進められた場合の展開の可能性について考えさせられた。

番組内では、現在用いられている原子炉には、長く技術革新が起きておらず、旧来の技術のままのものばかりだと、テラ・パワーの技術者によって述べられている。この技術者の述べるコスト・ベネフィット比較の論法は典型的なアメリカ的功利主義の発想で、個人的には好感を持つものではないが、一方、ビル・ゲイツの言う「放射性物質が流出しないこと」を第一に置く設計思想については、革新的であるように感じた。原子力発電所の事故が許されないのは、それが巨大な社会の混乱を招くからであり、(それにはこれまでの過去の原子力開発における経緯や不祥事などの記憶も大きく絡むが、)直接的には一般環境への放射性物質の流出が起こることに起因する。それさえなければ、原子力は今後も有用な技術であり得る、との彼の発想は、言語化してみれば特殊なものではないが、シンプルかつ極めて合理的であるように見えた。もちろん現在の原子炉も多重防護であったり、安全策を講じているのではあるが、先にあるのは現在の技術による原子炉設計であり、それに対して後付けで安全策を講じるという発想の順序となる。ビル・ゲイツの発想では、開発における順序が逆転している。これが、ビル・ゲイツの原子炉の新しいところであるように見えた。

この試みの成否は別として、原子炉が国家の管理下での開発ではなく、ビル・ゲイツのような合理性に基づいて革新的なビジネスをもたらすベンチャー企業によって開発されるものであれば、技術革新も安全対策も劇的に早期に進み、あるいは、福島で起きたような実に些末なことを原因とする大事故も起きなかったのではないか、と、あり得たかも知れない、そして現実にはならなかった現在をふと夢想した。