十周忌

母が亡くなったのは震災から8ヶ月前だったから、今年がちょうど十年目になる。あたりまえのことではあるけれど、その時には、一年も経たないうちに大震災と原発事故が起きるとはついぞ知らず、葬儀のあとの脱力した、一方で、どこかしら高揚したところのある時間を過ごしていたわけだが。

震災と原発事故が起きたときに、最初に思ったのは、母が生きていなくてよかった、だった。続いて起きた世界の混乱に、彼女の弱り切った神経では耐えきれなかったであろうし、私がここにとどまることもゆるさなかっただろう。震災からこっち、母のことを思いだすたびに心の中で呟いたものだ。よかったね、こんな世界を見ずに済んで。彼女の知る世界は、混乱と凋落の気配はかすかに漂うものの、まだどことなく戦後の華やかさと希望が残る時代のままだった。それは、彼女の死にまつわる、数少ない私にとっての慰めだったのかもしれない。

母にまつわるいくつかのことを文章にしようと思うことは何度となくあって、実際に書きだしてみたこともあったのだけれど、どうにも読みにくいものにしかならず、紙に書いていた時代であったならば、破り捨てていたところだろうが、キーボードで文章を打つ今では、保存ボタンを押さずに消去してお終いにしている。書かないまま、墓場に持っていくのかもしれない。

十周忌。墓にも詣でず、例年になくあなたのことを思いだしたのは、世情が、あなたが亡くなった後の年に似通っているからかもしれない。私たちは、覚めない夢のなかに住まうように、十年前をふたたび繰り返している。