除染のこと

今回の東京電力福島第一原発事故を象徴する事業は、放射線測定でも、廃炉作業でもなく、除染とそれに続く中間貯蔵施設事業になるだろう。莫大な量の除染廃棄物とフレコンバッグは、原発事故の被害の大きさを端的に視覚化したように見える。実は、いまやその中身の大半は、周辺土壌と大差ないレベルのものがほとんどなのだが。これにかけた莫大なコストと事業の巨大さ、そしてこの先数十年以上に及ぶ廃棄物管理と難渋する最終処分場問題に対して、大半の廃棄物の拍子抜けするほどの線量は、この事故処理の壮大なまでの徒労と空虚さを際立たせる。

とここまでは、一般的な放射線リスク認識とコストベネフィットに基づいた感想だ。

除染対象地域にならなかった母親が仲間の力も借りて自力で除染をした体験談を聞いた。線量が下がったときに、なんと晴れ晴れとした気持ちがしたことでしょう、とその時の感情そのままのような弾んだ声で、彼女は当時のことを語った。それを聞いて、自分は除染にかける人びとの思いをうまく認識できていなかったのかもしれない、と思った。たとえば、末続での除染は2012年12月から2013年3月にかけてだったと記憶しているが、除染の後で集落の雰囲気そのものが明るくなった。会う人たちの表情が一様に明るくなり、言葉も前向きになっていた。それを見て、被曝量の減少に多くは寄与しないにせよ、除染に意味がないとは言えないのではないか、と当時も思った。雑談の時に彼女とふたたび話した。被曝量の低減にはあまり影響はなかったかもしれないが、子供のためにできることをした、という手ごたえが欲しかった、という主旨の内容だった。あの時、できることをしなかった、そういう後悔をしたくなかったのだ、と。除染にかける人びとの痛切なまでの必死な思い。無防備なままに被曝させてしまった初期被曝の問題が、長く禍根を残し続けていることを考慮に入れれば、被曝量の低減が見られない地域であっても除染の効果を一概に否定する気にはなれない。一方で、あまりに多すぎる廃棄物は、社会の歪みとなってこの地に長く、深く傷を与え続けるだろう。

簡単じゃないんだぜ、世の中も人のこころも。冗談めかしてそう嘯いて、小さく嘆息。