スティーブ&ボニー (21) 宇宙語で話す

参会者が三々五々に散っていくロビーで、坂東先生を見つけた。もうひとり、日本人の男性も一緒にいる。やはり今回の会議に参加するために日本から来たのだという。この会議は、なんだか学術的な集まりとも思えない、不思議な雰囲気でしたね、と誰からともなく感想を言い始める。私の知っている参加者は、皆同じような感想だったから、アメリカ国内の会議としても異色なのは間違いないのだろう。

日本人3人で雑談していると、ちょっといいですか、と白人男性が声をかけて来た。自分は、今回の会議の記録撮影をしているんだけれど、あなたのインタビューをこれから撮影させてもらえないだろうか。福島の様子やここに来ての感想を話して欲しい。それは構わないのだけれど、私は英語がそんなに喋れないんだけれど。ためらいがちにそう返事すると、そんなの問題じゃないさ! じゃ、これから準備をするからちょっと待ってて!とあっという間に話は決まってしまった。

スポンサーに出資してもらっている以上、なんでも協力をするつもりではいるけれど、そうは言っても私の英語力じゃ、と横にいた坂東先生にこぼすと、あんた、そんなん気にする事あらへん!アメリカは、喋ったもん勝ちなんや。意味が通じるとか通じないとか関係ない。文法も発音もめちゃくちゃでも意味が通じんでも構わん。とにかく喋ればいいんや!と言う。いくらなんでもそれは、と思ったけれど、横にいた男性も一緒になって、坂東さんの言うとおりですよ。なんなら英語じゃなくても日本語でも、誰もわからない言語でもいいんです。とにかく喋ってアピールした人が偉い、それがこの国なんですから! と声をあわせて言う。アメリカ在住経験のある二人が一致してそう言うのなら、きっとそうなのだろう。何語でもいいと言われても、私に喋れるのは日本語と片言の英語だけなのだけれど、郷にいれば郷に従え、だ。

撮影の準備ができたと声をかけられ、別室に案内された。インタビュアーの他にカメラマンもいて、本格的なカメラとマイクが用意されている。じゃ、自分が質問するからそれに答えてくれるかな。にこやかにインタビュアーが質問をする。事故の後の福島の様子はどうでしたか? 何が問題になったのでしょうか? いきなり宇宙語で話すわけにもいかず、なるようになれ、と英語で考え考え回答する。坂東先生も日本人男性も身を乗り出すようにして見ている。意味が通じなくても構わないと言われたので、吹っ切れたのかもしれないが、私にしてはちゃんと英語で喋れている気がする。インタビュアーもカメラマンも目を輝かせながら話を聞いている。それで、あなたが具体的に福島でして来たことは? 発表したのと同じようなことを説明する。大きく頷きながらインタビュアーは話を聞いている。こんなに目を輝かせながら、自分の話を聞いてもらったのは初めてかもしれないと思うくらいだ。最後に、アメリカの人に伝えたいことは? もちろんここは笑顔で、ぜひ福島に遊びにいらしてください。お待ちしています。だ。

正味30分くらいだったろうか。最後は、映画撮影の「カット!」と言う音声が入りそうなくらいのノリノリの雰囲気でインタビューは終了した。素晴らしいインタビューが撮影できた。本当にありがとう!と笑顔で握手する。ところで、自分も昔、日本にいたことがあるんだ。ネイビーにいてね。日本のどちらに?と尋ねる。 長崎だよ。そういえば佐世保に米軍基地があった。休暇の日に、長崎の平和公園に出かけたんだ。そこで、あの彫像を見たんだ。そう言って、彼は片手を上に、片手を水平に伸ばした長崎の平和祈念像のポーズをとって見せた。見た瞬間に、雷に打たれたような衝撃を受けたよ。そして、ものすごくよくわかったんだ。被爆者たちが何を願い、何を求めてるのか。祈りが、直接自分の胸に入って来たんだ。よく覚えているよ。今も忘れられない。その時の感激がそのまま蘇って来たかのように、彼は熱を込めて語った。

今回の旅で、ネイビー出身の人に会うのは3人目だ。国外に出かけることも、関心を持つことも少なさそうな、広いアメリカに住んでいて、日本にある駐留米軍基地は、アメリカを日本と繋げる文化的な窓口になっているのかもしれない。

坂東先生やインタビュアーと別れ、スティーブの運転する車に乗って帰路に着いた。ボニーは先に帰って、お客さん用のディナーの用意をしているから、とスティーブが言う。そう言えば、自宅の夕飯にジャックを招待したと言っていた気がする。家について、玄関から入ると、既に丹羽先生とジャックがキッチンにいた。しかも、クリスまでいる。ボニーは、お客さんの対応をしながら、オーブン焼きの鉄板にピーマンを並べ、メレンゲのようなものをまわりに注いでいる。それと並行して、流しでサラダ用の生野菜を洗い、グリルの上ではお肉を焼いて、と慌ただしそうだ。そうこうしているうちに、玄関からさらにお客さんが入ってくる。アラン夫婦と、ウォルト夫婦だ。まさかまたアランに会うことになるとは思ってもいなかった。アメリカ人側は、ピクニックに出かけたときと同じメンバーだ。不思議なことに、総勢10名がキッチンに立ったまま、めいめいにワインを片手に、ボニーが焼いているお肉がグリルで焼けるそばからそのままつまみ、キッチンカウンターに並んだサラダを立ったままお皿にとって食べている。横には広い居間も、大きなテーブルが置いてあるダイニングもあると言うのに、これがアメリカ流のもてなし方なのだろうか。それぞれが好きなように雑談しながらなので、キッチンはごった返している。

ひとしきり歓談が進んだところで、料理の準備ができたようだ。隣のダイニングのテーブルに移るように促された。全員が腰掛けて、和やかに乾杯の音頭が取られた。ずらっと並んだ面々は、皆さま、なんだか立派な肩書きを持った方ばかりで、このメンバーでの食事に私が加わっているのは、われながら不思議に思える。奥様方も加わって、料理のこと、ワインのこと、Bリアクターの訪問の話で盛り上がっている。なんのきっかけか、放射線の人体への影響メカニズムについて話題になったようだ。丹羽先生が、DNAに及ぼす最新の研究についてなのだろうか、話し始めた。ところが、その場にいるなかで、生物学に詳しいのは丹羽先生ただ一人だ。おかまいなしに丹羽先生は、夢中になって生物学の話を続ける。最初は頷いていた一同だが、だんだん怪訝な表情になり、しまいには、全員の頭の上にはてなマークがたくさん浮かんでいるのが目に見えるような状況になってしまった。途中までは相槌を打っていた皆も途中からは止めてしまい、最後まで付き合っていたアランが口をつぐむと、喋っているのは丹羽先生ただひとりだ。その場のはてなマークがどんどん膨らんでゆく。最大級に大きくなったところで、丹羽先生がひと呼吸置いた。すかさずアランが口を挟む。「どうだい。そろそろ共通の言葉を話そうじゃないか?」。「共通の言葉」と言うのはその日のシンポジウムでクリスが発表で使っていた言葉だ。皆、安心したようにどっと笑い、丹羽先生は頭をかいた。

それにしても、この人たちは、ついさっきまでLNTや基準をめぐって火花を散らすバトルをしていたのだ。今だって、互いに心を許していないのは間違いない。それなのに、実に文句のつけようのない、スマートで感じのいいディナータイムじゃないか。これが外交交渉の喩えで時折きく「テーブルの上で握手をし、テーブルの下で蹴り合いをする」と言う奴に違いない。そう思って、そっとテーブルの下を覗いて見たけれど、脚はお行儀よく椅子の座面から床に下ろされており、さすがに蹴り合いはしていないようだった。

キッチンルームで立ち話をしていたのに比べて、ダイニングテーブルに移ってからの食事はテンポよく進み、あっさりとしたフルーツのデザートを摘まむと、早々に解散になった。フランス人たちと食事するときと比較すると、倍速か三倍速くらいのペースだ。礼儀正しく挨拶をして別れ、私は地下室の寝室に入り、長い1日が終わったのだった。