スティーブ&ボニー (5)

荷物をまとめて上の部屋にあがると、スティーブは玄関のすぐ右手の居間のソファに腰掛けて本を読んでいた。彼は、いまインドの独立運動についての本を読んでいるんだ。そう言って開いていた本の表紙を私に示した。ガンジーの写真だ。彼は、ヨーロッパ諸国はアジアの国に対してとてもひどいことをしてきた、と言葉を続けた。原子力技術者の彼がインドの独立運動に興味を持っていることも意外だったが、そのことを私に伝えることも不思議に思えた。彼は、ヨーロッパの植民地主義がアジアや第三世界に対して暴力的に振る舞って来た歴史について自分が関心を持っていること、そしてそのことに対して批判的であることを、アジア人である私に伝えたかったのかもしれない。自分は本を読むのが好きなんだ。と彼は言う。どういうタイプの本を読むの? 少し好奇心をそそられて尋ねてみる。いろいろだ....その時々に興味を持った話題を、本屋で買って来て読んでる、今はヨーロッパの歴史の本を読んでいる。彼は、壁沿いの棚の上に積まれた本の小さな山を示した。積まれている厚めの本のタイトルを覗き込んでみると、確かに近世、近代のヨーロッパの歴史に関するものであるようだった。一般書ではあるものの、内容的にはやや専門寄りであるようにも見え、彼はずいぶん勉強熱心な人であるようだ。居間には、年代物のどっしりとしたソファが4〜5台置かれていて、部屋の一番奥の壁には暖炉が備え付けてある。冬にはきっとここに薪をくべて、ソファに腰掛けて静かな時間を過ごすのだろう。となりのダイニングの壁には、葉書サイズ程度の絵が一面に飾ってある。派手ではない、かといって重くもない、品の良いシンプルなデザインの絵柄が多かった。どうやらこれは、ボニーの趣味であるようだった。日本から持って来たお土産の風呂敷を渡すと、ボニーは、「まぁ、素敵....。壁に飾れるわね…」とうっとりするように見つめて、ほんとにうれしいといった笑顔を浮かべた。

ティーブが自分の仕事場に案内するという。地下への階段をおりて、私の部屋とは逆サイドの扉をあけると、そこが彼のオフィスルームだった。その部屋は地下なのだけれど、庭に向かって全面が窓になっていて、青々とした芝庭が外に広がっていた。ここの敷地は、入口側が高く庭側が低くなる傾斜がついており、中に入ると地下室が1階になっていることに気づいた。彼のオフィスルームは、広い机が真ん中に置かれ、そこには椅子に座った彼を囲むようにパソコンのディスプレイが3台並べてある。メモ類はあるものの、デスクまわりは整然としている。彼は、自分はふだんここでずっと一人で仕事をしているんだ、と言った。自分の仕事は技術設計で、一人でコンサル会社をしている。打ち合わせはほとんど全部オンラインで間に合うし、外に出かけるのは好きじゃない。誰とも会わなくてもいいここは、自分にとっては最高の環境だ。そう話す彼の表情は、空港で顔を合わせた時に比べるとはるかにリラックスしているように見えた。大きなディスプレイには、私が前にメールで教えたダイアログのサイトが映し出されていた。彼は、このサイトを何度も繰り返し読んだ、と言った。本当に感動したんだ。あなたたちのしてきたことはすばらしいと思う。そう言って私を見る目には溢れんばかりの敬意が宿っている。自分はずっとこの仕事をしてきたが、言い争いと対立ばかりで、心底うんざりしていた。どこでも対立と諍いばかりで、何の建設性もない。あなたたちのしてきた対話だけが、唯一の解決法だと自分は思う。あなたとジャックのしてきたことは、正しい道だ。彼は、ときおり苛だたしそうに表情を歪めながら、そう話し、最後にもう一度私をまっすぐに見つめた。私は、その言葉を聞いて、彼が口先ではなく。私たちの試みを真剣に受け取ってくれていたことに驚くと同時に、胸が詰まってしまって、どう答えていいのかわからなかった。(この頃には、聞き取れないなりに、部分的に聞き取れるようになっていた 。)日本国内でもそう理解されているとは思えない私たちのダイアログの試みを、まったく状況の違う遠く離れたアメリカの原子力関係者がこんなにも理解して評価してくれるなんて。そして、さっき見たばかりの、彼の家の入り口に立てられていた「ヘイトに居場所はない」という看板を思い出していた。彼の言う「対立」は、きっと原子力産業をめぐるものだけではないだろう。一昨年から吹き荒れるこの国の喧騒、大統領となった人物が先頭を切ってヘイトと対立を煽り、それが国全体に広まっていく有様を、自由と多様性こそがこの国の価値であると信じて来た人びとにどれだけ混乱とぜ絶望と悲嘆を与えているかは、周知のことだ。熱心な民主党支持者であるスティーブにとっても、この国のエスカレートしていく対立状況は、悪夢のようでさえあったのかもしれない。私と会話しながら、時折苛立ちをあらわにして嘆息交じりに眉間に皺をよせる彼の苦悩の様子から、そう察した。

彼は、きっとこのことをずっと私に伝えたくて、待ちきれなかったんだろう。一気にそれだけ言うと、それまでのどことなくそわそわとした様子とは打って変わって、晴れ晴れした表情を浮かべ、ディスプレイに明日のピクニックに行く予定の場所の写真を映し出しはじめた。荒野と呼ぶにふさわしい荒涼とした平原に、大きな川がゆるやかにカーブを描いている。河岸手前は、なだらかな起伏があり、川向こうは真っ平らな平原が広がる。ここが明日行く場所だ。自分のいちばんお気に入りの場所だ。ここに来た最初の頃は、砂漠は好きじゃなかった。というより、いやでたまらなかった。でも、息子がある時にここを教えてくれて、今はこの場所が世界でいちばん美しいと思うし、大好きな風景だ。そう話す彼の言葉を聞いて、何気なく、ここにくる前はどこに住んでたの? と聞いてみた。彼は、あちこちだ、と言う。あちこち? 定住しないでふらふらしていたというのだろうか。ヒッピームーブメントかなにかに参加していたとか? とてもそんなタイプには見えないけれど。私が不思議そうな顔をしていると、彼は、自分はここに来る前は海軍にいたんだ。だから、海軍の基地があるところを転々としていた、たとえば、アラスカとか…。だから、決まった場所には長く住んでいなかったんだ。そういえば、彼の仕事部屋に入ってすぐの壁には、潜水艦を背景に軍の制服を着ているスティーブの写真が飾ってあった。彼は海軍で潜水艦に乗っていたに違いない。「あちこち」とは言っても、ヒッピーとはまったく正反対の世界だ。海軍に入る前は、大学で数学を専攻していた。だから原子力はもともと勉強していたわけではない、海軍をやめた後に偶然ここで働くことになって、それからの付き合いだ。彼は肩をすくめながら話した。彼は数学者だったのだ!その話を聞いて、私はすべての謎が解けた気がした。フィールズ賞を受賞したロシアの数学者が、森にこもってめったに人前に姿を現さず、受賞まで断ってしまったという エピソードを思い出していた。きっと彼もそういうタイプの人であるに違いない。素足なのもきっとそういう理由なのだ。数学者なら、理解できる。そして、数学は、人文系で言うところの哲学みたいなもので、その手の変人なら私も似たようなものだし、ましてや世捨て人だというならなおさらだ。私たちは、きっと気があう。私はすっかりうれしくなってしまった。

夕飯は、庭のデッキで食べた。タコスだ。自分たちは好きで、よく食べるんだ。アジア系の料理も好きだという。食材はどうやって手に入れるの?と尋ねると、近所のスーパーに置いてあるから、と言う。さすが超消費社会アメリカだ。お金さえあればなんだって手に入る。アメリカでは、アジア料理を食べる人は多いの? 他の人たちはそうでもない、自分たちの好みはちょっと違うから。このワインは、自分の友人が作っているんだ。友人はもともと仕事の仲間で、退職した後に好きでワイナリーを始めたんだ。小さいワイナリーだから、本当に少しだけしか作れないんだけれど。リッチランドでは、ワイン生産が盛んだと聞いていた。勧められたワインは、少しベタつく甘さがあって、フランス人だったらきっと文句を言うに違いない味だったけれど、瓶に貼られたラベルの猫のデザインがとてもかわいらしかった。自分とボニーは、こことは正反対の東海岸ニュージャージー出身、ニュージャージーは緑が多いところで、ここに来た時は、緑がないことになれなかった。この家を買ったのは、庭に植えられていた大きな木が気に入ったから。生まれ育ったニュージャージーを思い起こさせてくれたから。この木がそう。いまでは、砂漠も気に入っているけれど、この庭もとても気に入ってるんだ。ポツリポツリと話してくれるスティーブとボニーの会話は、喧騒が苦手な私にとってはちょうど心地よいテンポで、ワインのほどよいアルコールもあって、私はすっかりリラックスすることができた。