スティーブ&ボニー (4)

パスコ空港に降り立った飛行機はそのままタラップを地上に下ろし、乗客たちは順に階段を降りていく。好天。空が広い。ただっぴろい平野に乾いた空気。気温は少し暑いくらいだけれど、乾燥しているから、鬱陶しいような暑さではない。日本では長雨が続いていたから、体の芯から乾いていくようだ。タラップから降りたところで、そのまま大きなスーツケースを受け取っている人たちもいる。自分のフライトチケットを見せると、あなたの荷物はあっち、と平屋の空港建物入り口を指さされた。どうやら国内線の乗客だけがここで受け取っているようだ。それにしてもずいぶんのどかだ。他に到着の便はないらしい。人もまばらな小さな空港建物に入ると、ほんの少し歩いただけでもう出口の表示になってしまった。ここを出てもちゃんと荷物が受け取れるのか不安になり、出口に座っていた黒人の係の人に尋ねてみる。荷物の受け取り場所はこっちで大丈夫? にっこりと笑って、そう、こっちで間違いないよ、との返事。安心してお礼を言ってそのまま進もうとすると、「ツァイチェン!」と彼が声をかけてきた。中国人だと思われたようだ。これまでヨーロッパの訪問地で、街を歩いていると、まず最初に中国人と思われることがほとんどだった。次に、韓国人。そのあとに出てくるのが日本人というパターンが多い。それだけ日本人の存在感が薄いのだ。ここでもどうやら同じらしい。私、日本人なの。と返すと、彼は「さようなら!」と今度は日本語で挨拶した。なんと!日本語もご存知でしたか。「さようなら。ありがとう」と私も日本語で返して、荷物の受け取り場へ向かった。

空港には、スティーブが迎えにきてくれることになっていた。乗り換えのロサンジェルス空港から、到着便が遅れることはメールで伝えていた。出口のカウンターを超えたすぐのところに、細身の中肉中背の白髪に口ひげを蓄えた男性が、人待ち顔で立っている。部屋着そのままの少しくたびれたトレーナーに、ハーフパンツ。足元は、運動靴タイプの革靴。ちょっと散歩に来ましたというかのような、ずいぶんリラックスした格好だ。私をみて、落ち着かない様子で小さく手を上げた。彼がそうみたいだ。近くまで寄って、互いに確認をしてから挨拶をする。来てくれてありがとう。でも、差し出した握手の手を握り返すのもそそくさに、彼は、車は向こうだ、と歩いていこうとする。荷物を受け取らなきゃ。すぐ近くのベルトコンベアーを寂しそうに流れていた自分の荷物を指差すと、彼は、それを持ち上げると、そのままスタスタと駐車場へ向かってしまった。荷物を確認する係員もいない。

出口を出てすぐの場所にスティーブの車は止めてあった。埃をかぶった大きなグレーのRV車。日暮れにさしかかろうとする夕日が目にまばゆい。彼は車の後ろのトランクをあけて私のスーツケースを積もうとしたが、トランクの中にはなんだかわからない道具類が箱に入って雑然と詰め込まれていて、スペースがない。彼は、道具類を一箇所に適当に押しやって作ったスペースになんとか私のトランクを押し込んだ。車高が高いものだから、えいやっという風情で助手席に乗り込んだ私の後から、運転席に腰掛けたスティーブは、ハンドルを握る前におもむろに靴を脱いで、そのまま後部座席に投げ込んでしまった。日本でも車内をきれいに保つために、車内用の靴に履き替える人にごくたまに会うことがあるけれど、彼は車内履きを履くわけでもない。靴下も履いていない。素足だ。車内は、特別に片付いているというわけでもない。というよりも、むしろ、砂埃だらけでいろんな小さなものが雑然とあって、お世辞にも片付いているとは言い難い。なぜ、彼は靴を脱ぐのだろう? 車内の環境美化のためなら、私も靴を脱いだ方がいいはずだが、この散らかりようから見るとそういうわけでもないらしい。彼は、そのことについてもまったく説明しない。私の疑問をよそに、彼はそのまま車を発進させた。

空港の駐車場から出てすぐのあたりで、彼が空港の隣を指差しながら、あそこが会議の会場のホテルの建物だ。あなたの友人はみんなあそこに泊まっている、と教えてくれた。彼は「あなたの友人たち」という言葉に、ほとんど無意識と思えるくらい、小さく力を込めて発音した。やっぱり彼にとっては、私がICRPの紹介で来た、ということに少なからぬ意味があるのだろう。車はそのまま交差点をいくつか超えて、ハイウェイに入った。この近辺には、3つの都市がある。ひとつがパスコ、もうひとつがリッチランド、そして、ケニウィック。自分の住んでいるところはリッチランドで、ここからは車で15分くらい。会議の時は、毎日この道を通ってくることになる。自分は会議の準備などで忙しくて、一緒に移動できないかもしれないけれど、その時はボニーが送迎してくれるから、心配ない。彼はほとんど表情を変えないで、淡々と説明する。だから、このあたりは、トリ・シティズ(三つの都市)と呼ばれるんですよね、と相槌を打つが、彼には聞き取れなかったようだ。何度も聞き返されてしまった。ここまでの会話で、彼の話す英語は、私にとっては最上級に聞き取れない米語であることがわかった。まず、口をあまり開けないでボソボソと話す。しかも本当に必要最低限の数の単語しか発してくれない。彼は、非ネイティブとの英語でのやり取りになれていないのだろう。非ネイティブに慣れている人は、こちらが理解できているか配慮してくれることもあるし、言い回しや単語が理解できないようだとわかったら、言い方を変えたりして言い直してくれるが、そういうことが一切なく、ぶっきらぼうに聞き取りにくい発音の少ない単語で話しっぱなしだ。そして、彼自身、日本人の英語発音を聞くのも初めてだったのだろう。私の英語はお世辞にも上手とは言えないが、ここまで自分の英語を聞き取ってもらえないことは初めてだった。何度か会話を試みたあとに、意思疎通の困難さを互いに自覚したようだった。しばらく車内 で沈黙の後に、うまくしゃべれなくてごめんね、と言うと、彼は、そんなことない。知らない言語を喋るのは大変なものだ。そもそもアメリカ人は怠け者(lazy people)なんだ、と言った。そこで初めて私はくすっと笑った。

窓の外には大きな川が流れている。彼はコロンビア川だ、と言った。釣りを楽しむ人も多い。このずっと上流に訪問する予定になっているリアクターがある。明日は、リアクターではなく川の上流部にピクニックに行く予定になっているけれど、疲れてないか? と尋ねる。ううん、ピクニック楽しみです。コロンビア川は、ハンフォード・サイト稼働中に大規模なプルトニウム流出事故があり、問題となっていたはずだった。魚は食べられるの? とっくに環境回復作業は終わり、問題がなくなっていることは知っていたけれど、尋ねてみた。彼は、もちろんさ、と相変わらず、ボソボソとした発音で答えた。その間も、私は、彼がなぜ素足なんだろう、そのことばかりがずっと気になっていた。

ここまで、実のところ、私はほとんど彼の英語を聞き取れていない。聞き取れたわずかな単語の切れっ端から、きっとこんな内容のことをしゃべっているのだろうと推測して、会話のようなコミュニケーションをしているに過ぎなかった。それにしても、ただっぴろい景色だ。片側四車線ずつの広い路上をたくさんの車が猛然と走るハイウェイの両サイドには、市街地を過ぎると乾いた大地に潅木が這うような景色が延々と続いている。10分ほど走ったところで、ハイウェイを降りて、市街地に入った。ここが自分の住んでいる街だ。そんなに大きな街ではないけれど、必要なものは全部揃うし、スーパーもあって買い物にも便利だし、静かで落ち着いて暮らせるから、住みやすいところだ。(と説明しているらしい。) 確かに、建物はだいたい二階建てまでの家屋で、とりたてて豪華という感じではないけれど、暮らしやすそうな落ち着いた様子の住宅が多い。車上からはよく手入れされている公園も見える。街の中は、緑豊かというほどではないけれど、乾ききった郊外とは違って木々も多く植えられている。ただ、行き交う車は多いのに、道を歩いている人はほとんどいない。ここは車社会で、移動はもっぱら車で、用を足すために歩くことはほとんどないのだろう。近所はだいたい顔なじみだし、安心して暮らせる。日本人も一人、住んでいるんだ。彼も会議にくるから、後で会えると思う。ここがうちの一番近くのスーパーマーケット、家はもうすぐだ。車は右折して住宅地の中に入り、速度を緩め、住宅地の並びの一軒の家の駐車場にそのまま車を止めた。どうやら、これが彼の家らしい。家の前には、小さな庭があって植物がたくさん植えられている。小さな芝庭には、数枚の看板が立ててある。貼られているポスターには、「ここにはHATEの居場所はない」と書かれてある。私は、彼が送って来てくれたメールの中に、自分は民主党員だと書かれていたことを思い出した。近所で仲間が開く小さな民主党の集まりがあるから、 興味があったら行ってみないか、と誘ってくれていたのだった。アメリカの草の根民主主義と言われるものにも興味があった私は、もちろん!と返事をしておいた。今回の訪問で、唯一楽しみにしていたことだった。

車を停めた後、スティーブは後部座席に投げ込んだ靴を取って、それを履いてから車を降りる、とばかり思っていたのだが、彼は、なんとそのまま素足で地面に降りたかと思うと、家に向かって歩き出すではないか。え?靴は?靴は履かないの? と思いつつ、彼の後を追いかけるようについていくと、網戸になっていた小さな玄関のドアをあけ、そのまま素足で家の中に入っていく。靴を履いた私もそのまま家の中に入る。入ってすぐ、正面にキッチンがあって、そこにスティーブとほぼ同じ年頃と思われる白髪混じりの栗色の髪の、日本で言うところのおかっぱ頭の女性がいた。スティーブが、ボソボソと一言、二言、声をかけ、彼女はこちらの方を向く。ボニーだ。初めまして、お世話になります。彼女は、穏やかな笑顔で、ようこそ、疲れたでしょう? と、スティーブよりは少しだけ聞き取りやすい、けれど、やはりボソボソとした調子で私に声をかけた。ボニーへの挨拶もまだ終わらないうちに、スティーブは、私の部屋を案内すると行って、玄関入ってすぐ左手の地下へ向かう階段へ、私のスーツケースを持って降りて行った。昔、子供が使っていた部屋だ。滞在中は、ここで気兼ねなく過ごしていいから。わからないことはボニーが教えてくれる。荷物を整理したら、また上にあがってくるといいよ。それだけ言うと、裸足の彼はさっと部屋から出て行った。欧米では地下にも部屋を作るのが一般的で、地中に含まれるラドンが肺がんの発がんリスクに影響があるとわかって、建物中のラドン濃度の規制がしかれるようになったんだったな、と、原発事故後に仕入れた、日本では役に立たない知識が頭をよぎった。