附記


この記事を書いたあとに、安倍総理が小中学校に休校「要請」を打ち出したとのことで、脱力してしまった。先の記事には、政府対応については触れなかった。政府対応も冗談のように原発事故の後をなぞっている。ただ違うのは、当時の政権には巧拙の問題はあったにせよ、なんとかしようという意志はあったし、行おうとした。国民への説明もあったし、法律とのせめぎ合いも制約もあるなかで、可能な限りの正当な手続きを経た上で、対応しようとしてはいた。場当たり的対応が目立つようになったのは、一ヶ月が経過するあたりからだ。おそらく、そこまではそれまでの事前にあったシナリオが少しは使えたのだろう。事前に用意していた避難シナリオは使えなかったにせよ、もとあったシナリオを援用したり、あるいは考え方を利用するといったことができたのではないかと想像する。ただ一ヶ月を超えたあたりからは、もっていた事前のシナリオがまったく使えない、一からすべてを考えなくてはならない状況になった。そこから大混乱がはじまった。矢継ぎ早に打ち出される政策は、どれもチグハグで場当たり的、沸騰していた世論から批判されるたびに揺れ動き、対策が打ち出される度に混迷を深めていった。現在の新型コロナウィルスの対策が当時とそっくりだと思うのは、原発事故後一ヶ月を経過したあたりの場当たり具合だ。ただ、いずれにせよ、当時よりも官僚機構も余裕がない上に、官邸の顔色を覗うことが常態化した結果、士気も大幅に下がっているだろう。社会も当時より余裕がない。当時もひどい政治状況ではあったが、いまほどではなかったろう。状況は原発事故当時よりも圧倒的に悪化しているにもかかわらず、ちぐはぐさと場当たりさぐあいは当時そのままといった体だ。もっともこういう状態であることは察していたので、これについてはいまさら嘆く気にもならない。そうでなければ、避難区域や事故原発対応をここまで放置するわけがないからだ。そのことは、この五年ほどで臓の腑にしみいっている。原発事故同様、政策のもたらす社会的インパクトとそれによる影響の方が実際のウィルスの影響を凌駕する巨大なものとなり、それはこの先の衰えゆくこの社会に拭いがたいダメージとして刻印されるのだろう。