2020/02/29 ルビコン川

あの時も「学校」だったな。
内閣参与が涙の記者会見をした日のことを思い出していた。もっとも当時我が家はテレビをつないでいなかったので、写真と文字報道によってしか知らないのだけれど、でもなぜだか涙の瞬間にたかれた大量のフラッシュの音まで記憶に残っている。

あの記者会見をどう思うのか。あれはなんだったのか。そもそも文科省の示した基準は妥当だったのか。細かなことはいくらでも言える。でもいまはただ、あれがルビコン川だったのだ、とだけ思う。そこには決意も意図も覚悟も、おおよそ思慮と呼ぶに足るものはなにもなかった。ただ安定の悪い川岸の土手が崩れ落ちるのに足を取られるまま入り込んだ濁流をめくらめっぽうに渡ってしまっただけにすぎない。私たちはみなレミングの群れだった。泣いた人間も横に座っていた人間もフラッシュを盛んに焚いた人間もいくつもの質問をぶつけた人間もそれをテレビで、新聞で、ラジオで注視していた人間も誰もがレミングの群れの一員だった。

そして、9年。

私たちはいまもまだルビコン川のなかにいるのかもしれない。川底にたまる泥に足をとられ、濁った水を飲みながら、いつのまにか見失った対岸を探している。そしてまた、対岸につかないまま、もう一度ルビコン川に飛び込もうと言うのだろうか。