パンデミック雑感11 避難指示解除のための基準ー20ミリシーベルト考

コロナウィルスの感染拡大のともなって発令された緊急事態宣言は、明確な基準がないまま発令された。政府による強権発動は、それが他国と比べていかに緩やかなものであったとしても、社会に与える影響は、心理的なものも含めて甚大なものとなり、発令時よりも解除する方がはるかに難しいというのは、すでに多くの識者から指摘が出ている。ここで、原発事故時の避難指示の解除を例として考えてみたい。

まず、原発事故の直後に発令された避難指示の法的根拠を確認しておきたい。説明が煩雑となるので、以前、私が書いた文章をそのまま引用することにする。全文は、福島民報社から出版されている以下の書籍に寄稿しているので、興味のある方は手にとっていただきたい。

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  2011年3月11日19時3分に東京電力福島第一原子力発電所に対して、「原子力緊急事態宣言」が発令されます。この時に、初めて、原発が非常事態になっていることが公になりました。当時、政府が発令した文書のコピーが首相官邸のサイトに掲載されています。この原子力緊急事態宣言は、2017年9月現在においても解除されておらず、発令中です。
 原子力緊急事態宣言が発令されたのと同じ11日の夜から、避難指示が出されはじめました。最初は3km圏内、翌12日には、10km圏内、20km圏内と拡大されていき、15日に20kmから30km圏内に「屋内退避」の指示が出されました。この一連の避難指示に関しては、原子力災害対策特別措置法第15条3項に基づいています 。内閣総理大臣は、原子力緊急事態が発生したとき、市町村長および都道府県知事に対し、避難のための立ち退き又は屋内への退避の勧告又は指示を行うべきこと、その他の緊急事態応急対策に関する事項を指示するとあります。これによると、避難指示は、手続きとして二段階構成になっています。国が、直接住民に避難指示を出したのではなく、自治体に避難指示をだし、自治体が住民に避難指示を出すという構成です。
 同じ年の4月22日に、避難区域の再編が行われます。この時は、原子力災害特別措置法第20条第3項に基づいています。「原子力災害対策本部長は、当該原子力災害対策本部の緊急事態応急対策実施区域及び原子力災害事後対策実施区域における緊急事態応急対策等を的確かつ迅速に実施するため特に必要があると認めるときは、その必要な限度において、関係指定行政機関の長及び関係指定地方行政機関の長並びに前条の規定により権限を委任された当該指定行政機関の職員及び当該指定地方行政機関の職員、地方公共団体の長その他の執行機関、指定公共機関及び指定地方公共機関並びに原子力事業者に対し、必要な指示をすることができる」とあり、かなり自由度が高いものであるように読めますが、ここで避難区域は、「警戒区域」「計画的避難区域」「緊急時避難準備区域」「特定避難勧奨地点」 とそれ以外の地域に分けられました。
 1年後の2012年に、同じ原子力災害対策特別措置法に基づいて、再び避難区域の再編が行われ、「避難指示解除準備区域」「居住制限区域」「帰還困難区域」に分けられました。この時の避難指示区域が現在にまで引き続くこととなりました。その後、順次解除が行われ、2017年9月現在は、大熊町双葉町両町を除いて「帰還困難区域」だけが残っています。避難指示区域を設定する時の放射線量の基準は、低い方から順に、避難指示解除準備区域が年間20ミリシーベルト以下、居住制限区域が年間20〜50ミリシーベルト、帰還困難区域が年間50ミリシーベルト超です。ただし、注意が必要なのは、この年間放射線量は、1日のうち屋外に16時間、屋内に8時間いると仮定して、空間線量に365日をかけて算出したものです。

(安東量子「福島で暮らす・暮らせないということ」『福島はあなた自身』福島民報社、2017年)

こうして発令された避難指示は、発令当初には解除の基準が定められていなかったため、政府・原子力災害対策本部は2011年12月26日付けで解除のための指針を決定した。それが「ステップ2の完了を受けた警戒区域及び避難指示区域の見直し
に関する基本的考え方及び今後の検討課題について」
と題された文書である。ここで、避難指示解除のための要件として以下の3条件が定められた。環境省の要約をそのまま掲載する

①空間線量率で推定された年間積算線量が20ミリシーベルト以下になる ことが確実であること
②電気、ガス、上下水道、主要交通網、通信等日常生活に必須なインフ ラや医療・介護・郵便等の生活関連サービスが概ね復旧すること、子供 の生活環境を中心とする除染作業が十分に進捗すること
③県、市町村、住民との十分な協議

これらの3要件は、それぞれがそれぞれの問題をはらむものであったが、ここでは①の年間積算線量20ミリシーベルト以下という基準だけ取り上げることとする。補足しておくと、③に「県、市町村、住民との十分な協議」が加えられているのは、前掲した拙文にあるように、避難指示の手続きは、国が直接住民に対して発令するのではなく、国は自治体に避難指示を出し、自治体の首長が住民に避難指示を出すという二段階構成の立て付けになっているためであると思われる。

さて、年間積算線量20ミリシーベルトという避難指示の解除基準が、実質どのように機能したのか。まずは、避難指示区域の変遷を見てみたい。これは煩雑を極めるので、福島県のサイトにまとめられている概念図をそのまま引用することにする。

避難区域の変遷 平成24年3月31日以前)
避難区域の変遷 平成24年4月1日以降)

福島県「避難区域の変遷について-解説-」より)

この「年間20ミリシーベルト以下」の避難指示解除基準がどのように機能したかというと、実質ほとんど機能しなかった、というのが実態である。というのは、2012年時点の避難指示区域再編時点で、「避難指示解除準備区域」においては、解除基準である年間20ミリシーベルトをすでに下回っていたからである。にもかかわらず、「避難指示解除準備区域」での実際の避難指示解除は、ほとんどの地域で2017年までずれ込んだ。したがって、年間20ミリシーベルトを下回るという数値基準はあるものの、これが実際の解除にあたってなんらかの影響を与えることはほぼなく、解除のための線量基準そのものが有名無実化してしまっていた。そのため、時間の経過にともなって大きく減っていった放射線量は、解除のための基準20ミリシーベルトからはどんどん乖離していったのだが、それが区域指定に反映されることもないままとなってしまった。

福島第一原発事故において、環境中に放出された主たる核種は、半減期2年のセシウム134と半減期30年のセシウム137で、その比率は1:1であった。環境移動を考慮せず、物理的減衰のみで考えても、半減期の短いセシウム134は2年で半分、4年で1/4、6年後で1/8、8年後では1/16にまで減少し、そのあとは、ほぼセシウム137の半減期30年に従ってゆるやかに減衰していくことになる。つまり、事故から発生まもない時期は、セシウム134の減衰率に従って、早いペースで放射線量は減っていくことになった。従って、同じ20ミリシーベルトと言っても、どの時点の20ミリシーベルトであるかの当該地域は大きく変化することになるはずであった。ところが、もともとが実態に即していない避難指示解除基準であったため、その変化が反映されることはなく、また見直す必要性も指摘されることがないままとなってしまった。基準はあれども、あってもなくても変わりがない、という状況が常態化してしまったのだ。(※そもそも、「解除基準は20ミリシーベルト以下」とはしてあるものの、一体いつの時点の20ミリシーベルトであるのかが明示されていない。政府内では共通認識はあったのだろうが、少なくともそれが一般にわかりやすい形では示されていない。)

結局、解除のための線量基準は、数字としてのみ存在するものの、実際に運用に使われることはなく、やがて今度は線量基準そのものの存在が忘れられてしまう本末転倒の事態となった。いま現在、避難指示が解除されずに残されている地域でも、年間20ミリシーベルトを上回る場所は、相当に少ないであろう。だが、放射線量の減衰が顕著であった、事故発生から8年以内の年間20ミリシーベルトと、その後の減衰が非常に緩やかになる年間20ミリシーベルトとでは、同じ20ミリシーベルトであったとしても、累計被曝量を考慮に入れれば、まったく異なるものとなる。本来は、そうした減衰と累計被曝を踏まえ、線量基準の見直しを適宜行うべきであったはずなのだが、当初に定めた線量基準が有名無実化してしまったため、線量基準そのものが無効化されるという、本末転倒の事態となり、誰一人としてそれを指摘しないという異常な状況だけが残された。これは、もうひとつには、時間とともに変化していく減衰率等を踏まえ基準を見直すというプロセスが、政府の避難指示解除プロセスのなかに組み込まれていなかったことも大きな要因のひとつであると思っている。私は、いまも、避難指示解除のなされていない区域の線量評価を再度適切に行って、累計被曝量を十分に考慮した上で、線量上の解除基準を定め直すべきであると思っている。線量上の解除基準を満たしても、社会的条件によって避難指示解除することが困難な地域もあるだろうが、それはそういう前提で対処を考えるべきで、実態把握をおろそかにすることの理由にはならないだろう。