2020/03/08 心穏やかな日々

朝から雨、曇天の肌寒い日だというのに、窓の外から見える庭には、ジョウビタキセキレイ、それからヒヨドリが入れ替わり立ち替わりやってくる。北側の窓からは梅が満開、ヒヨドリが花蜜をついばんでいる。じっと見つめていると、慌てたように飛び立って、そのすぐ隣の枝にふたまわり小さな黄緑色の小鳥が二羽。ウグイス!と声を上げたら、ヒヨドリのあとを追いかけるように飛び去った。しばらくすると、かすかにホーホケキョ、と聞こえてくる。今年の初鳴き。

夕方、日課の犬の散歩に出かけようと入り口から外の道路を出たところで、仕事帰りのご近所の奥さんに出くわした。散歩で顔なじみになった我が家の愛犬を構いながら、立ち話をしているうちに、奥さん、本とか書かれているんですか? とふいに尋ねられて、慌ててしまう。どうしてご存じなんですか、と尋ねる前に、区長の○○さんが、この間職場に来て、知ってっか、あそこの奥さんNHKのテレビに出てたんだぞ、1時間も、って教えてくれて、みんなで盛り上がったんですよ、と顛末を教えられた。恐縮しながら、かいつまんで震災の後の話を書いたんです、と、ああ、これはそのうちご近所に知れ渡ってしまうな、と諦念しながら、たどたどしく説明した。

本を出した後、著書の中に登場させた夫方の親戚には、書いておきながら知らせないのもよくないので、出版後お礼と一緒に送らせてもらったが、私の方の親戚には親兄弟にも誰にも教えなかった。とくだん不仲というわけではなく(というよりも、仲はよい方ではないかと思う)、知らせたところでまずいことがあるわけでもないのだけれど、ただなんとなく面倒くさかった、というだけの理由ではある。だが、過日のNHKの番組の再放送をたまたま学校が休日だった姪が、間が悪く見ていたとのことで、それを聞いた義姉からLINEが入り、冗談のように飲みかけのコーヒーを噴き出して、むせてしまった。知られたくないならテレビになんて出なきゃいいのだろうけれど、それはそれ、本を出したからには宣伝はしなくてはならないのである。結果、身近な人に知られるのは、ことの帰結としては、充分に想定されることであるし、隠しおおせると思っていることじたいがあり得ないのではあるけれど、知らせなくてごめんなさい(なんとなく面倒くさくて)と()の部分は省略してお返事した。

本を出したことは、常日頃から安東量子としての私の活動を知っていて、ネットなどの情報で必ず耳に入るであろう人以外には、ほとんど知らせなかった。なぜなのかと考えてみるに、日常を変えることを好まない私の性格が理由なのだろうと思う。日常は変化しないで、心穏やかに、淡々と過ぎていくのが人生における幸いである、と震災前から強く感じていて、信念というほどのものかはわからないけれど、その性向が震災後の行動の方向性を決めた側面はある。著書のなかで、末続での活動について「なにも起きなかった」と書いたけれど、私にとっては、それは実は否定的な評価ではなく、肯定的な評価だった。日常を変えることは、誰にとってもストレスが大きい。特に外からの影響によって本人の意志ではなく変えられることは、とりわけストレスになる。だから、自然と変わるのは別にして(時間の経過や環境の変化によってゆるやかに変化するのは当たり前であるし、漸次的な変化であればストレスもあまり大きくはない)、なにも起きないことが心穏やかな生活を送るにはなにより大切であるような気がしている。震災後、私の置かれた状況は大きく変わりはしたけれど、基盤となる日常生活は、実のところ、ほとんど変わっていない。昼寝をする時間と現場に出る時間が減ったくらいだろうか。変わらないのは、いいことだ。