キヨちゃん

 中心市街地から阿武隈の山並みへ。ひと山越える毎に、少しばかり拓けた田畑のある集落があり、順に一段、また一段と、階層を上っていく。
 一時間ばかり上った山頂のほど近くに小さな集落がある。そこからさらに、車一台がやっとの小さな橋を渡り、砂防ダムの脇を通り抜ける。そして、冬季は雪が消えることのない北側の斜面を細く蛇行する道を上りきれば、階層の最上段だ。
 右手にある商店を目印に、一気に視界が開ける。
 そこは、天上の村だ。
 山並みは平らかで、低い丘に囲まれた田園が佇む。小川の流れはゆるやかで、水音もやさしい。空へ近いので、山々の色が淡い。四季を通じて森からは、光があふれている。
 この地の美しさは、生活の厳しさと引き替えに与えられたものだ。
 冬、夜明けに樹氷が輝く時期、大地は凍てつき、ツルハシも入らない。かつては、里に住む人からは「カラスも鳴かない」と嗤われた。元は炭焼きの開拓集落であった家々は、今でも簡素で、冬の寒さを充分に凌げるとは思えない。
 キヨちゃんが住んでいるのは、そんなところだ。
 天上の村の一本道を通るたびに、一人の小母さんとすれ違った。小母さんがいるのは田んぼだったり、畑だったり、自宅の庭だったり、道路だったりしたが、決まっていつも顔を上げてこちらを見据える。その見上げた表情があまりに険しいので、いつからか「オニのオバさん」と勝手に名づけていた。
 「オニのオバさん」がキヨちゃんであるとわかったのは、偶然だった。とある作業現場で一緒になった作業員の中にキヨちゃんがいたのだった。キヨちゃんは男衆と同じくらいよく働いた。監督の段取りが悪ければ、機嫌が悪く、遠慮なく文句を言う。逆に、段取りがよければ、実に手際よく作業を進めていく。休み時間には、あの怖い顔を表情豊かに変化させながら話をした。いつか教育には金をかけた、と少し誇らしげに話をした。そばにいた別の小母さんが口を挟む。息子は都会の国立大学を出ているのだという。朝も夜も働きに働いて息子の学費を工面した。けれど、今、大きな企業に勤めている息子は、あまり家に顔を出さない。そう話すときは、少し不機嫌そうな口ぶりだった。息子の学費が必要なくなった今も、キヨちゃんは働いている。
 2020年、天上の村では、田畑は荒れ、木々には蔓が絡まり、山は鬱蒼としてしまっているかもしれない。今でも滅多に見られない樹氷は、ほとんど永久に見ることができなくなっているだろう。あるいは、もしかすると、都会から移住してきた人々で賑わい、凍てつく冬をものともしない新しい建物が何軒もそびえたっているのかもしれない。だが、キヨちゃんは変わらず、今と同じように働いているだろう。あの光降りそそぐ村を世界の中心に、キヨちゃんの暮らしは確かに続いているはずだ。

(2005年頃?に書いたもの)