(読書メモ)『災害の襲うとき』 住まいを失うこと 2

ラファエルが住まいを失うことによるストレス要因で二番目にあげている「不慣れな環境」について。その冒頭に、先日、私が書いていたのと同じことが書いてあった。

家というものの物理的な環境とその適切な機能に対し人間がいかに依存しているかは、その喪失の現実に直面するまで当人は気がつかないのである。(212ページ)

私が、住まいを喪うことの重大性を察することができたのは、自分自身が2011年の3月15日にとるものとりあえず自宅を後にした経験によるところが大きい。私は幸いにして帰ることができたが、あのまま戻ることができない状態になれば、どれほど困難な状況に陥るかは察せられた。とはいっても、多くの一時的な避難を経験した人でも想像が働かない人の方が圧倒的多数であるようで、賠償に絡む聞き苦しい話を聞くことは多々に及び、すっかりげんなりしている。しかも、地元民どうしの悪口ならまだしも、しばしばその聞き苦しい話を「支援者」の立場の人から聞かされるのであるから、たまったものではない。そのうえ、ただの「支援者」ではなく実に立派な肩書きを持っていたりする人の中にも平然とそれを口にする人がおり、それを東京のメディアは被災地に寄り添う素晴らしい人物として報じるわけだから、ただただ勘弁していただきたい。(これは愚痴です。)
【自分用メモ;199ページ 損害補償に関する記述を再確認】

従来とは大きく異なる新しい環境へ移り住んだ人たちも、この落ち着かない違和感を覚えるだろう。新しい場所になれ、そこに安心して住める気持ちになるには、しばらく時間がかかる。立ち退き先でいつまで過ごさなければならないのかがはっきりしないこと。それに仮の住まいや物品になじめないことも、以前の環境からの離脱感をつのらせるばかりである。(214ページ)

日本政府の原発事故後の復興政策は、失敗続きであったわけだが、そのなかでも最大のもののひとつが避難指示の先行きを示さなかったことだろう。一時避難と呼ぶには長すぎる期間を、避難区域の多くの住民は、どっちつかずの状態で過ごさねばならないことになり、帰還困難区域にいたっては現在にいたるまで示していない。その異様さは、崩壊目前であったソヴィエト連邦でさえ、チェルノブイリ事故後5年めには避難区域の線量区分を明確化し、それにともなう補償措置や住民の生活区分について明らかにしたことからも明らかではないだろうか。長い間、宙ぶらりんのままズルズルと期間は伸び、先行きのビジョンを示すこともなく、場当たり的逐次的に計画を追加し予算を投下したものだから、この先どう考えてもうまく進むとは思えない状況になっても、退くこともできなくなっている。おそらく、このまま世論が復興予算に対して氷のような冷たい目を向けるまで、先の見通しのない計画を続けるつもりなのだろう。不幸なのは、宙ぶらりんのまま放置される住民だ。あるいは、特攻兵のごとく復興へと飛び込む若者たちだろう。

「なじみのない近隣」

自分の住む場所への親近感は、その周辺にまでおよんでいる(略)。この近隣が災害によって破壊された場合には、一種独特の喪失感が生まれる。(214ページ)

この近隣の環境への親近感を明確に概念化していることには驚いた。原発事故のあとの不安感の重要な要因のひとつとして、安全と感じられる生活環境への信頼感が失われたことを指摘したのだが、なるほど、こういう文脈に整理して位置付けられるのか、と感心した箇所だ。人間は、環境依存性の生き物であるし、社会依存性の生き物である。そうした変化が個々の精神に大きな影響を及ぼすわけだが、なぜだか、そのことが東日本大震災からの復興で強調されたことはない気がする。

このような連帯感の喪失、立ち退きによって生じた不便、新しい隣人たちとの違和感、ストレス状態が続いていて新たな対人関係を築くのが困難なこと、これらがすべて被災者の新環境への適応を困難にする。被災者が生活困窮者だった場合など、以前よりも良好な環境へ移住するようなこともあるが、たとえそれが掘っ立て小屋暮らしの貧しい生活だったにせよ、以前の住み慣れた環境の方を懐かしむのである。(214ページ)

以前の住み慣れた環境の方を懐かしむ、という感覚は、原発事故のあとの避難をめぐる議論において理解され難く、困ったことのひとつであった。あまりに簡単に「避難しろ」という人がいたためである。人間は「モノ」ではない。暮らしている場所に愛着があるし、また暮らしそのものが「尊厳」と呼びうるものであることは前回の引用箇所にもあった。その点に関しては、たまたま読んだ千葉雅也氏と綿野恵太氏の対談に興味深い言及があった。

千葉雅也さん×綿野恵太さん『「差別はいけない」とみんな言うけれど。』刊行記念対談 【後編】シティズンシップが変える社会|じんぶん堂綿野恵太氏の初の著作『「差別はいけない」とみんな言うけれど。』が昨年刊行され、各紙誌・SNSで大きな反響があった。この手book.asahi.com
千葉:リベラルが、人間の尊厳という非合理性に訴えるロジックをいままで軽視してきたからいけない。そのくせ、「人間の尊厳とは?」という非合理性を追究せずに、「スイッチを押せばいい」みたいな、安易な話にジャンプしてしまう。あまりにもお粗末なんです。どこまでも合理主義の発想だからダメなんです。合理主義で解決しようと思うから人の心を掴めない。保守派からそう嘲笑われてる。

避難を呼びかける人たちには「リベラル派」と思われる人たちが多かった。彼らはよかれと思い、避難こそが合理的であると主張するのであるが、私は、そこにはどうにも生活への想像力、人がひとつの場所で暮らすこととその尊厳に対しての想像力が欠落していると思えてならなかった。人は、合理性や損得勘定のみで判断するのではない。武士は食わねど高楊枝ではないが、最後のところでは尊厳、誇り、プライドといった非合理的なものにによって判断するのは、ごく普通のことであるように思える。だから、リベラルが合理主義によって判断し、人間の尊厳を軽視して来たという指摘には、彼らが一方的に避難のみを正しい選択として訴えていた行動から鑑みて、ひどく合点がいったのである。そして、そのことによって、彼らは地元に残った/残らざるを得なかった多くの人々から強い反感を持たれたのだ。地元に残った/残らざるを得なかった人びとの尊厳を軽んじたとして。

もう一点、避難にかんしては

最大の難局は、家族の分離によって生じる。これが被災体験による心傷を深めることはほぼ間違いない(203ページ)

つまり同程度の衝撃を受けた人たちのなかでのストレス作用は、残留者が最低、立ち退いたままの被災者が最高だった。(204ページ)

という記載もある。また、災害後、社会的状況が変化した中でもひとり母親のストレスが最高度のものになること(社会的位置が激変することによると考えられる)、子供にかかわることはストレスが大きくなることなどが触れられている。

これらのいくつかの指摘は、各種アンケートから窺われる自主避難者の精神状況の悪さを裏付けるものであるように思える。自主避難者は母子世帯の比率が高い。家族揃って避難した場合は、転居扱いとして自主避難の届けを出していないケースも多いと思われるが、それは生活状況が比較的安定しているとも言えるだろう。こうした精神的な状況にかんしては、それが環境の変化に対する正常な反応である、という認識を大前提として、もっと重視されるべきではないかと思う。(念のため、私は「カウンセリングに行け」「精神科にかかれ」と他人に対して言い捨てるような、精神的な問題を病として外化し、異常なものとして片付けようとする言説については、強い抵抗感を持っている。)